香りと健康の歴史EC編

■香りの経験的活用

洋の東西を問わず、植物の揮発性成分は、健康維持-特に祭祀上の呪術等と結びつく形で-に活用されてきました。特に西洋においては、フランスを発祥とした芳香療法(アロマテラピー)として、医療技術が進歩発展し、現代においても非常に広く活用されてきています。
ヨーロッパにおいて、植物精油を活用し始めた起源は明快ではありませんが、旧約聖書の中に複数、ナルドの香油という形で、精油を生成する記述やその精油を使った病気の治療に用いられた記述が見受けられます。
14世紀には、イタリアのフィレンツェ周辺の山岳地帯が、ハーブの原産地として知られ、野生のラベンダーの収穫や精油の蒸留抽出が行われていました。 しかし、科学的な検証手法も持たない時代なので、その薬効成分は経験的なものとして、博物学的に、人々の間に記憶されたり、記述されていたに過ぎませんでした。反対にこうした植物の薬効に関して、でたらめな事を語り治療を混乱させる人々も現れ、こうした薬草を用いた療法は一時大きく衰退しました。

■経験的活用から化学へ

こうした植物の療法がヨーロッパで見直される契機になったのは、18世紀のヨーロッパ全土でのペスト(黒死病)の流行がその一つです。 先にあげた、フィレンツェの野生のラベンダー収穫やラベンダー園で労働している人々、加えて、革にラベンダー香を付けるためにラベンダー精油を利用している革職人らまでが、ペストに感染しなかった事から、一気にラベンダーによる、ペスト予防が広まりました。
これがヨーロッパでの、民間の香りによる病気の具体的な予防手法といえるでしょう。 その後19世紀に入り、錬金術が化学へと昇華されていく中で、様々な物質の化学的性質や生理学的な効能を検証する手法が、系統だって作られていき、各種の植物精油とその効能についての研究がすこしづつであるが行なわれ始めました。

■アロマテラピーの発祥

そうした中、20世紀のはじめに、化粧品への利活用を目的として植物精油を研究していたフランス人のルネ・モーリス・ガトフォッセが、自身の研究の最中の事故で手をやけどした際、偶然、ラベンダー精油に手を浸したところ後も残らず直った経験をしました。また、化粧品向けの精油研究において、高い防腐効果を示す植物精油があることもつきとめていたので、鎮痛消炎作用や、防腐作用などがある事を彼は確信しました。 そこで、彼の化学的研究の流れから、植物精油を使った総合的な治療法のジャンルとして「芳香療法(アロマテラピー)」を提唱しました。また、そうした考え方を1928年に「芳香療法(アロマテラピー)」という書籍にまとめ、出版しました。 しかし、残念ながら、その後の戦争の影響で、彼の研究の流れは一時中断してしまいました。

他方、医療面での研究や応用は、戦争の影響によって新たに生まれ始めました。大戦中、医学博士のジャン・バルネは、ガトフォッセの著作等の示唆を受けて、植物精油を戦傷者の治療に活用しました。
また、こうした経験をヒントに、多くの研究を行ない、数多くの論文を出しました。1964年に医学的にはじめてアロマテラピーの専門書「アロマテラピー:植物ホルモンとしての精油」を著しました。
こうして、ハーブの香りを治療に用いる「アロマテラピー」が生まれました。

■アロマテラピーの発展

このアロマテラピーを、治療医療的な側面の強いバルネの流れとは一線を画する形で、発展させたのがオーストラリアの生化学者、マルグレート・マリーです。彼女はむしろ、美容という側面で科学的な知見をフルに使うという、化粧品からスタートした化学者のガトフォッセの流れに近いものといえます。 しかし、臨床的な側面も重視し、自分自身が精油を使って、医学・美容に関する体験を「若さという資本」という本を始め、アロマと美容医療に関する書籍を1960年代前半にいくつも著しました。それらの本は、ベストセラーになり、当時、多くの有名な映画女優、舞台女優が彼女の治療を受けることにより、急激に普及していきました。 美容という側面の他に、東洋医学の思想なども組み入れ、多分に予防医療的な側面のあるアロマテラピーのジャンルを広げていったといえます。 こうした流れを受けて、イギリスの生理学者ロバート・ティスランドは、1977年に「アロマテラピー・芳香療法の理論と実践」という書籍に、アロマテラピーの理論体系を纏め上げ発表しました。現在のアロマテラピーといわれるものは、世界中で、この書籍を基本として展開されているものが大半です。日本でも1985年に翻訳され、多くのアロマテラピーに感心のある方々に読まれてきました。

■科学としてのアロマテラピーへ

こうして、世界中に広まり、ヨーロッパでは、日本における針や灸のようなコメディカル分野の医療行為として認められるようになり、特にイギリスにおいては、医師において正規の医療オプションとして利用をされています。
特に「治療から予防へ」というのが合い言葉になっている現代の医療において、一つの大切な光明であります。
しかし現状の、アロマテラピーにも問題が無いわけではありません。

その一つは、すべてではないにせよ、いまだにティスランドの著作の内容は、その基礎となるハーブの効能に関する内容や判断、臨床評価の手法など、現代の科学から見た場合、誤ったものも少なくないということです。にもかかわらず、同書の影響力が強すぎ、こうした新たな知見を取り入れていなかったり、新たな知見を得るための評価手法を組み入れていないということです。
やはり、アロマテラピーも科学である以上、その関連する天然物に関する理論体系や生理活性に関する理論体系の進歩発展に応じてアロマテラピーの理論体系や、実施手法をきちんと変えて行くことは大切です。

もう一つとして、塗布や吸引など、アロマテラピーの投与手法では、きちんと取り込まれる量をコントロールできないため、効能の研究も定量的ではなく定性的且つ官能的なものにとどまってしまっているという事です。
今後、アロマテラピーなどの揮発性成分の生理活性に関する研究を進めていくことにおいて、投与量をコントロールする事による、定量的な研究はますます重要になってくる事でしょう。当然そうした定量的研究の成果を、より適切に還元するためには、そうした投与技術も今後必要になってくる事は必至です。
予防医療において中心的な役割を果たすためにも、この2点をクリアする事で、科学としてのアロマテラピーを確立することが今後求められているといえるでしょう。