GWもあけて、皆様いかがお過ごしでしょうか。私自身は、ヒューマニング国際研究所のセミナーも順調に始まって、隔週での訪道もなかなか新鮮であります。そんなこんなの中で、ちょっと、地域活性化という視点でヒューマニングを見直してみていて、そういえば、この連続コラムでは事例を中心に書いているので、なかなか書くことは少ないのですが、地域活性化の「そもそも論」を少し書いてみたいと思います。
■地域活性化ってそもそも何だっけ?
ここのところ、今はやりのTwitterというのをしていると、ちょっと興味深いつぶやきがありました。そもそも、地域活性化なんて必要なの?という趣旨のものです。地域活性化したくない人もいるんじゃないの、というご指摘は確かにその通りと思います。一日静かで穏やかな日々を過ごしたいという希望もあるでしょうから、そういう人には活性化はいらないよという議論もあるでしょう。でも、そもそも、地域活性化って何だっけ、という問いに行きつきます。本稿では一番初めから地域活性化を間接的に定義しました。で、第4話で以下のように文章にまとめました。
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地域の「活性」とは「地域に住む人が生き生きと元気に活動する状態」であり、活性化はその状態をより高めていくもの
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要は地域に住む人が活性化したその総和ととらえるということです。でも、地域の活性化もいざ知らず俺の活性化を含めて本当にそんなことする必要あるのかということになります。
■で、何のために地域活性化するの?
究極的には、地域に住む人すべての人の幸せのためということになります。「でも、俺、騒がしいのヤダし、人と交流するとストレスになるし」という人もいるとは思います。しかしながら、地域の活性化は、程度だったり内容は別にしても、やはり必要なんだろうなと思います。
「幸せのためにはまず自分がある程度継続的に生きていかなければいけない」
ということがあります。そのためには、自分一人が単独で生きていけるわけでもないので、最低限の隣は維持できていなくてはいけません。そうすると、雇用なり助け合いなりが必要で、その他者の存在を必要とするがゆえに、彼らに生き残っていただかなくてはなりません。
生きるための取引すらできない限界集落では、なかなか人は幸せになるどころか生きていくことすら苦しくなります。
やはり自分に必要な取引を維持するだけの相手先と収入源は必要で、ネット通販で完結するというわけにはいきません。
そうすると、元気な街がいいとか、観光で活性化とか逸品で活性化だとかそういうのは議論の余地はあっても、やはり地域活性化そのものは一般には必要な行為である、と言わざるを得ないと思います。
■地域活性化は目的でもなければ目標でもない
しかしながら、地域活性化そのものは目的でもなければ目標でもありません。というのも、究極的には人の幸せのための手段で、またその結果でしかないと私は考えています。地域の活性化は地域の住民の幸せづくりの活動の結果、地域が活性化していると外の目で言われることです。加えて、その活性化によって、周囲の人々が幸せに存在し、自分やその他の人に幸せ感を与えてくれるための手段でしかありません。
地域活性化は目的や目標とすべきことではなく、あくまで、個人の幸せのための手段であり、幸せ追求の結果でしかないということです。そこで重要なのは、あなたがどう幸せになりたいのかということと、地域の人がどう幸せにその地域で過ごしたいかの相互理解です。その上で、自己が自己の幸せを追求しその結果周りも「活性化≒幸福化」されることが大事です。そして、周りが活性化されるということは、人間が社会的動物である限り幸せな状態の人間が隣近所に増えれば、それはまた自分の幸福の向上につながります。
地域を活性化することは、周りを幸福にすることであり、同時に自分が幸福に至るプロセスにかかわることです。
今回は抽象的になってしまいましたが、やはり本当の目的を見据えた活動ではないと、長続きもしないしコンセンサスも得られません。時には、「個人の幸福」みたいな大真面目で人に語るのはちょっと恥ずかしいようなことでも、ゆったりと頭を巡らせたり考えたりすることも大事かもしれません。










