2008年7月アーカイブ

 北海道生まれ北海道育ちの私としては連日30度を普通に超える愛知県の夏は拷問です。

 すでに熱帯夜が7日もあるなんて信じられません。とはいえ、この暑いさなかでも、子ども会中心にちょっとした屋台ごっこつきのお祭りまでやっているわけです。

 面白いように金魚を掬うわが娘の元気に驚きつつも、炎天下の中、その遊びを提供している生粋の愛知人のパワーには負けてしまいます。


こんなコラムを偉そうに書いているなら、気温ごときでウダウダ言ってはいけませんね。


■さて、また農作物から


 で、私の住む安城市は環境首都を目指すって事で、公共施設の壁面緑化というか緑のカーテンで涼しくして、クーラーの電力を減らしてCO2問題に貢献しようということをしております。

 ま、大は市役所の本庁舎から、小は、私のお手伝いをしている安城市民活動センターまで、市内各地で見ることが出来ます。まぁ、壁面緑化とかいったって、たいしたことではなくて、そこいらの網(近所の海苔養殖業者の捨てる網とかを貰う)を壁に適当につけて、蔓系の良く育つ植物を育てて這わせるだけなんですけどね。

 今年からうちのセンターもそれをやることになって、ヘチマにしようとか諸案あったのですが、結局、ゴーヤでやることになりました。理由は簡単で、可食性であって、なおかつ、次々と実が採れて食べても食べても追いつかないという話を聞きつけたからというだけ。

 前回のコラムのネタが、イモだったりしたように、要は食い意地の張ったセンター(というか、私)なのでございます。 


 この原稿を書いている、7月18日現在では、主目的である緑のカーテンはそこそこ出来ているのですが、なんと、ゴーヤは今日現在まで収穫できたのはたった3個。しかも、市販のゴーヤと違ってとても小ぶりで、大食漢の私の胃袋を満たすものにはなっておりません。まさに夢破れたりでございます。


■やっぱりプロのものが美味しいわな


 で、ゴーヤが食べれなくて悲しいという話しをしたいのではなく、自分で作って自分だけで食うってのは難しいもんだなということです。

 食うだけならいざ知らず、服でも、家でも、日用品でも何でもかんでも、自分でやってできないことはないのかもしれないけれど、上手く継続的にそれを得ようと思うと、やっぱり人様のお世話になったほうが、いいことが多いわけです。 

 実際に去年は壁面緑化はしていませんでしたが、色々な方からゴーヤやゴーや加工品を頂戴しました。それに、スーパーで立派なゴーヤが安価に手に入りましたし。変な話、頑張って自分で作って現金を払わないことを考えるより、食べるだけなら、ちゃんと買ったほうが圧倒的にいいわけです。

やっぱり、そこでお金はあったほうがいいなという話になります。


■安売りのワナ 


 で、一定量のお金しかないとなると、安く買えたほうが色々買えるだけ、良いなということになります。特に、普通に労働していたら、月給とか自給とか、ある種決まった金額しか入ってこないわけです(とはいえ、よほどのことがない限り、決まった金額は入るという見方も出来ますけど)。

 そうすると、勢い、安いものを探すという話になります。で、安売りが褒め称えられ、安売りでいいものを出すお店はいいところとなるわけです。安売りの価値やら努力を否定する気はないのですが、私なんかは、おや、と思うわけです。 当たり前ですけど、安売りされている商品を作る誰かがいるわけです。で、この人の給料ってのは買ったものの金額で既定されているわけです。

 今までゴーヤを100円で一日100個売って、一日1万円で生計を立てている人がいたとします。 でも、ある日、他の人が同じような品質のゴーヤを50円で売り出してきたとします。そこで、みんなが値段だけで判断して50円のゴーヤを買うようになったとします。

 じゃぁ、この人は、売るためには50円で売るしかありません。でも、生計を立てるためには、倍の数売る必要が発生します。そのせいで、この人は今までの倍、ゴーヤ作りの努力してやっと生計が立つようになります。


■安物買いの「ヒト」失い。「地域」失い。


 で、ここで忘れちゃいけないのが、買い手のつもりであるひとも、実はお金を得るために労働しているのですから、逆向きに同じ憂き目にあっている訳です。

 当然、この仮想的なゴーヤ農家さんも、きっと他の場面では、買い手でもあるのです。当然、こうやって困窮してくれば、彼が必要なものを買うときには、今までの半値でばかり買うようになるでしょう。

 実は人の仕事を安く買い叩くという考えは、結局、自分の仕事が安く買い叩かれるということなのです。 安物買いのゼニ失いなんていうけれど、実はそういう生活をずっと社会の構成員全体で続けると、失われるのはゼニではないのです。

 さっきの仮のゴーヤ売りではないけれど、今までよりアクセク働く羽目になって、ヒトが失われるのです。さらにそうしたヒトによって支えられている地域が失われ、活性化どころではないということになるのです。安物買いは「ヒト」失いであり「地域」失いなのです。

 とはいえ、お金は際限なくあるわけではないでしょうし、買える金額に限度もあるでしょうから安いものを買うこともあるかと思います。僕は、それ自身を否定する気はありませんし、そういう安売りのお店に価値があるとも思っています。

 ただ、常に値段ばかりでものを見て、安いものばかり追いかけるような生活は改めないといけないということです。その商品の裏にある物事を良く考えて、その上でシッカリ購入するようにして欲しいのです。


■お金だけのことではないけど


 実際、僕たちはモノやサービスを通じてお互いに繋がっているという不思議な社会を構成しているという側面があります。

 そればかりで世の中を捉えてはいけないことは確かです。でも、その不思議なつながりの部分についても、もっと良く考えるべきなのかなと思っています。

 とどのつまり、その向こうに人がいて、その向こう側の人から見て、自分も同じように見られているという意識を持つことが、まずは第一歩なんじゃないかなと。


ま、とにもかくにも皆様暑い日が続きますので、体調管理はお気をつけください。地域活性化も「無事是名馬」です。

さて、一ヶ月も間が空くと、何を書こうと思ったんだっけ、という間抜けな話がある一方で、いままで書こうと思っていたことを冷静に見返して、もう少しこうしようという欲も出て、おまけに子供が2人とも誕生日になったりと、ナカナカ筆が進まなくなったりもします。

 まぁ、今回は少し話の毛並みを変えて書き進めていこうと思います。

■イモ考

 この時期くらいから、日本全国の田舎のロードサイドに無人販売所とか書いてあって、ポストに100円とか入れて農作物もっていける場所ってのが良く出てきます。新鮮な農作物が安く簡単に手に入って大変よろしいのですが、遠路からの旅行の場合、要調理の農作物だと、買ったはいいけど、家に帰るまでに腐っちまうからいいやとか理由をつけて、余り購入する機会はありません。

 で、僕が愛知県で顔を出す場所である、安城市民活動センターでは、時々、市場に出さない農作物を持ってきてくれる、普通の会社をリタイヤ後のんびり農業をやっているおじいさんがいます。時々と書きましたが、時期によっては、ほぼ毎日何かを持って来てくれます。この原稿を書いている時には、メークインを持ってきていただきました。

 どっちがどっちって話をするわけじゃないんですけど、前述しているように、イモの町美瑛の高校出身なので、イモには若干うるさいので、このおじいさんのイモより、良いイモが先のロードサイドの無人販売所で売っていることも良くあるのですが、結局このおじいさんのイモの方を食べています。

 イモは日持ちするんだから、ロードサイドで買っても良いだろうにとも思ったりもします。

■タダだから食うのか

 確かに、このおじいさんのイモはタダです。おまけに、このおじいさんは市民活動をするわけではないし、ビジネスを展開しているわけでもないので、センターとしても、僕個人としてもなんら彼にメリットをもたらせているわけではありません。

 変な話、たとえばロードサイドで、無人販売所どころか、無料販売所って書いてあるからって、そこに並んでいるイモをせっせともって帰りますか?

 「いや、いない」と言って欲しいけど、実際はいるんだろうな。で、挙句にそれを食って食中毒になったら行政とかに駆け込んで大騒ぎするんだろうな。そこまで行き着いた人は本稿の読者じゃないと割り切ることにしましょう。というか、結論としては、こういう人が増えていくって話をするんですけど。

 まぁ、「いや、いない」って言ってもらえたとして、話を進めると、無料の食料で挙句に誰がくれるのかわからないものは、さすがに食べれない。怖いですもんね。その担保として、支払いをしているという側面があります。他方で、うちのセンターに来てくれるおじいさんの野菜は、無料ですけど、相手の人物を知っていますし、人間関係が良好なので、安心してもって帰って食うわけです。

 ちなみに、このおじいさんの野菜は有機農法ではありませんし、普通に農薬も必要量使用しています。でも、結構美味しく家族で食べてます。

■信頼の証としてのお金

 結局のところ、この相手への信頼ってのが、もののやり取りで重要になるわけです。あくまで、そのお金というのは信頼証明の代用物でしかないものなのです。なので当然ですが、「万事、金であがなう」という姿勢は、どこかで狂いを生じます。そして、最も良いものを最安値で手に入れるという姿勢は、「0円」という幻のお金を生み出します。信頼は数値化して取引できるわけではないのです。

 直接命にかかわる食べ物で考えると、こうした信頼とお金という話は比較的普通の話ですが、これが工業製品や民間サービス、行政サービスとなると、途端に様相が一変します。ティッシュはタダでもらうものでしょうし、行政には税金払ってるんだから、自分のために何でもやれという地域住民が増加していきます。ティッシュを作る人とも配る人とも、個人的な信頼関係はないでしょう。また、行政の窓口に対しても、行政に関しての方針を定める議会や議員にたいしてもそんなものはないでしょう。

 信頼に値しない行為をする商品やサービスの提供者にも問題があるかもしれません。でも、忘れてはいけません。多くの人が利用者であると同時に提供者であるのです。

■無人販売所考

 なんだか、まるで無人販売所が信頼なく金を集める悪魔のシステムのような書きっぷりになってしまいした。すみません。無人販売所の全てがそうなのだ、というつもりはありません。要は、旅行者の僕から見れば、相手が見えないというだけです。地域の人が買いに行けば、「ああ、あの人が作った野菜だな」ということで、相互の信頼のなかで購入されるはずです。

 実際、世の中そうなっているべきもののはずです。ところがこのつながりが失われているのが現代なのです。いや、本当はつながっているのですけれど、つながりをみんなが忘れているのです。

 なので、まるで社会全体がいろんなサービスや商品が無人販売所に放置されているような状態なのです。まだ、モラルがあるから、お金を払ってサービスや商品を持って行く人が大多数です。で、さらに、比較的多くの人が、提供者としても消費者としても責任を持って信頼を持ってお金を使っていくから、なんとか社会は機能しています。

 でも、社会が高度化してしまって、無人販売所の向こうをナカナカ覗けません。そんな暇もありません。ヘタをすると、無人販売所の向こうに人がいることを忘れてしまっている人も出てきています。

 こんな状態で、あなた自身が活性化できるでしょうか。

 何だか、ネガティブな終わり方になってしまいましたが、次回は、無人販売所の向こう側を考えましょう。次回を待てない方でお近くの方は、私が空き時間にお手伝いをしている安城市民活動センターまでご相談にお越しください。

 前回は、なんだかぐだぐだと地域活性化する人は誰なのかを書きましたが、要するに、地域に住む一人ひとりがその担い手になりうると言うことが言いたかったのです。そして、そんなに気張らなくても、できますよと言うことを言いたかっただけなのです。
 なんだ、高々数行で済むことに勿体つけやがってという声が聞こえてきそうですが、気にせずに今回のお話をすすめたいと思います。

■地域活性化は地域のヒトの活性化。

 さて、今一度、地域活性化の定義に立ち返りたいと思います。定義は、第2回で紹介したように 地域の「活性」とは「地域に住む人が生き生きと元気に活動する状態」であり、活性化はその状態をより高めていくもの ということに他なりません。
 地域に住んでいる人がみんな勝手に活性化すれば、結果として地域活性化は達成されます。そのとき思いつく手順は 

・めいめい勝手に活性化して、地域が活性化する
・個々人が活性化しやすい仕掛けを用意して、結果として個人個人が活性化して、地域が活性化する

という二つかと思います。で、まぁ、普通に考えると後者をとりがちなのですけど、「個々人が活性化しやすい仕掛け」ってなんなんでしょうね。
 個々人が活性化するためには、まずは、めいめいが勝手に活性化したくなるテーマなり仕掛けを考えることが近道です。「でも、めいめいってのは、めいめいってぐらいで、みんな違うこと考えるんじゃないの?」と思いがちですけど、とりあえず、めいめいのうちの一人は自分なのですから、まずは「自分の活性化」から考えてみてはどうでしょう?

■自分の活性化って何?

 「あなたの生活は充実していますか?」といきなり聞かれたらなんと答えるでしょうか。
 「ばっちり!充実しまくって毎日サイコー!」でしょうか。それとも、「いやー、べつにー」でしょうか。それとも、「もう最悪だ。人生暗闇だ」でしょうか。毎日サイコーってかたは、もうあなたは活性化しまくってますので、そのまままずは自己活性化してください。そういう方のためのお話は又次回以降ということで。
 今回はむしろ、自分の人生楽しくないやとか、なんかよくわからんやって人、すなわち、べつにーって方とか、人生暗闇系の方とかのためのお話です。しかも、そういう方のほうが地域活性化につながる自分の活性化がしやすいと思います。
 さて、自分の活性化ってなんでしょう?地域活性化の定義に帰ると、「地域に住む人が生き生きと元気に活動する状態」が地域の活性なら、「自分が生き生きと元気に活動する状態」が自分の活性ですので、自分の活性化はその状態を高めるということに他なりません。しかも「生き生き」や「元気」はあなたの主観でしかありません。他人の評価は無意味なのです。
 言い換えると、「自分の生活の充実度」が自分の活性化の尺度と言うことになります。

■自分を取り巻く環境の再構築。

 「そんなこといわれてもなぁ。平日仕事(家事)して、休日は疲れを取って、ちょっと趣味してぐらいだしなぁ」という方も少なくないでしょう。変な話、職場行ってヒト稼ぎして、その稼ぎで趣味(生活)をする、というサイクルでしかない、という状況に陥りがちです。(ちなみに、わたしも独身時代は完全にそのサイクルでした。)
 人間、「働かざるもの食うべからず」ですから、仕事を一生懸命することは大変正しいことだと思います。で、その仕事が大好きであれば、毎日充実した人生と言うことに他なりません。そして、その活動はそのまま企業の活動という形で地域に反映されます。それはそれで、大変すばらしいことです。
 今問われるのは、「じゃぁ、もし、そうでなかったらどうしますか」と言うことです。例えば、その地域に職場がなかったらどうしますか。仮にあっても、意に沿わない職場だったらどうしますか。
 選択肢は職場を作る、職場という場そのものを変えるの2択でしょうか。それに加えて欲しいのは、職場以外の場を探すということです。それは職場からの逃避で、青い鳥探しであると言うことではありません。「人間が生きていく仕掛けの全てがどこかの職場から生み出され、金銭を払って受け取るべきものである」というわけではないということです。
 ちなみに、その職場以外の場というのは意識をしていないだけで、あなたのそばにすでにたくさんあるのです。そして、その場を意識して自分の生活を再構成するだけでも、生活の充実度は変わります。

■んじゃぁ、その場はどこなんじゃい。

 「職場と家の往復とちょっとした趣味だけの生活に、それ以上の充実をする場なんてないわい。」というのはごもっともです。僕も20代の頃なんかまさにそうでした。実際に、新たな場なんて、そうそうありません。実は、「再構成」と言うのがミソであって、新たな場を求めることではないのです。
毎日の仕事、ちょっとしたお買い物、通勤の電車、ゴミ捨て、なんでもいいのです。自分のするアクションの意味を少し考えてみるだけで、ずいぶん生活のありようは変わってくるのです。
 たとえば、コンビニでの買い物を考えて見ましょう。買い物という行為は、単に、「お金を払って、欲しいものを買うだけ」でしょうか?自分が参加して作ったものが売っていれば、それを買うときには単なる欲しいから金を払って買う以外の感慨ってものも少なからずあるものではないでしょうか。僕であれば、やっぱり健康香料のOEM製品であれなんであれ、他のアロマ製品とは違った感覚で買い物をしてしまいます。
 この感覚ってなんなんでしょう?
 次に仕事の現場を考えて見ましょう。総務であれなんであれ、その仕事の連鎖の先に、何かお客様がいるはずです。そのお客様であるのが友人知人だったりしたら、仕事ひとつやるにしても感覚が違いませんか。
 この感覚ってなんなんでしょう?
 この「ちょっと違うぞ感覚」の積み重ねこそが、生活の再構成なのです。新たな場探しに旅に出ても無駄なのです。  次回はそういう再構成についてもう少し突っ込んで話していきましょう。

 このコラムもそろそろ半年を迎えるわけですが、他の研究員の皆様とは違い、いつになってもネイチャーテクノロジーらしい香りやら植物の話になりません。で、そろそろ、そのネタに行こうかなと思ったのですが、その話をするにももう少し前提条件のお話をしたいので、今しばらく、香りや植物と関係のないお話にお付き合いください。

■地域を活性化する担い手は誰だ

 さて、言い訳はこの辺にして、本題に入りましょう。前回まで、外目から見た地域活性化の4条件を見てきました。外から見ればこの4条件をそろえればいいということなのですけど、実際問題、その4条件を、いつ、どこで、だれが、どのようにして揃えればいいのかという、内側から見た問題が発生します。
 で、今流行のキーワードが「地域活性化の担い手」という奴です。地域再生戦略会議とかでも、結構最近は重要視されているのですが、スキーム書いて金つけても、担い手がいなければ意味がないってことで、この担い手って奴が注目されています。いわば「だれ」という部分です。
 でも、特別な「担い手」という人種が必ず存在しているものなのでしょうか。

■よそモノ、ばかモノ、わかモノの神話

 実は「地域活性化における担い手」論は昔から存在しています。たとえば「よそモノ、ばかモノ、わかモノ」論なんかは非常に有名です。
 地域にずっと住んでいる人には地域のよさを相対的に見比べて判断できないので「よそモノ」がよそからの視点で、良いところを見出し、その良いところに対して、地域をあげてアクションをするように地域の人が理解できないことを先駆けてやり始める「ばかモノ」がそれに点火し、そして馬力のある「わかモノ」がその仕事を引っ張っていく、というモデルです。
 このモデルは結構実際あっているようですけれど、実は、このモデル自体、外目から見た地域活性化論でしかありません。そんなに都合の良い「よそモノ」が必ずしも地域に住み着くわけでもなく、そういうキップの良い親方風の「ばかモノ」がいるわけでもなく、そしてこの少子高齢化社会で、そんなネタを牽引する「わかモノ」もそれほどいる保障はありません。
 しかも、僕が先に紹介してきた事例は、必ずしもこの3モノが揃っているわけではないのです。

 地域にそんな特殊な人種がいないとダメですか?と言うことはないということなのです。いればいたで、地域活性化に取り組む上でいいことが多いのでしょうけど、いなければいないように頑張ればいいということになります。
 じゃぁ「地域の中にはどんな人がいるの?」「どんな人が地域活性化を担うの?」という新たな疑問が発生します。順番に考えてみましょう。

■実際、地域の中にはどんな人がいるの?

 さて、こんな他人事のようにコラムを書いていますが、僕も、愛知県安城市のはずれのほうの地域に住む一地域住民です。多分、このコラムを読んでいるあなたも、どこかに住む、どこかの地域の住民であるはずです。地域にどんな人が住んでいるの、という問いの回答の一つは「あなたです」というのがその一つです。
 ようは、自分が地域住民なのですから、自分のこととして考えて見ましょう「地域住民の自覚ないけどなぁ」という人もいれば、「地域をどぎゃんとせんばいかん」というひともいるでしょう。さらには「こんな地域好きじゃないからどうなってもいいよ」という人もいるでしょう。そういう人々をひっくるめて地域の中にいる人なのです。そんな想いがごちゃ混ぜになって地域の活性の状態が出来上がっているものです。
 でも、多くの人は、そこまで極端に、自覚の有無とか好き嫌いでアクションを取っているわけではないと思います。どちらかと言えば、
「まぁ、地域のことは大事だけれどさ、自分の仕事もあるしさ、そのほかにもやることあるしさ、少しは気になるけど、だれかやってくれる人がいれば応援ぐらいはするよ」
というニュアンスの人が大半だと思います。
 どどのつまり、自分の都合と言うものがどの人にも存在しているのです。

■自分の都合。だけれど、それはみんなの力。

 「あなたの都合はどんな都合ですか?」と聞けば、子どもであれば、勉強やら習い事、部活動でしょうし、大人であれば仕事がメインでしょう。引退した年寄りだってそれ相応にやるべきことがあったりします。そう考えると、地域の人は地域のために活動できなくて、自分のために活動しないといけないことになります。
 例えば、仕事を例に取ります。会社には会社の都合があります。そして、その会社の都合に合わせて、あなたは働かなければなりません。それは当然あなたの生計だからです。それはそうなんだけれども、その仕事は地域社会の一部を何らかの形で構成しているはずです。とすると、あなたの都合であなたが働く、若しくは会社の都合で働くのかもしれませんが、実際はそれが地域社会を形作っている以上、あなたの仕事は即、地域のためであるはずなのです。実は、適切に働くと言うことがより良い地域社会を作る試みに繋がるのです。
 みんなが自分の本業をまじめにやる。それが、地域活性化の第一歩なのです。でも、その一歩は踏み出してるよ。という人は多いはず。では、なぜその一歩が生きてこないのでしょうか。
 実はまじめに本業を行うことは大事だけれど、それだけではまだ足りないのです。

 今回は地域活性化の4条件であげた、適切な投資をかんがえてみたいと思います。

 まぁ、お金のことを「先立つもの」というぐらいなので、地域活性化においても、はじめにお金(=投資)ありきと考えがちですが、実際はいきなりお金を投資すればするほど失敗します。その財源に国家の助成金を無理やり当てて、その地域活性化のスキームや流れを変えるなどというのは言語道断です。適切な投資というのが、地域活性化では非常に重要です。

 いままで、比較的マイナーな事例ばかりでしたが、こんかいは、ややネタ切れで恐縮なのですが、非常にメジャーな事例で行きたいと思います。このネタには腐るほど解説もあるので、なかなか厳しいのですが、あえて挑戦してみます。

■そして旭川。

 実は、わたし、旭川生まれなんです。ここまでいえば皆様の容易に予想できる事例を持ち出そうと思います。はい、旭山動物園です。僕が子供の頃、旭山動物園はソコソコ繁栄していて、遊園地の乗り物に乗れるのが嬉しい公園でした。

 で、ある日、大人になって仕事で旭山動物園に行きました。何をしていたのかというと、放送局でテレビのディレクターなんぞをしていたんですね。ちなみに、今のように栄えている動物園ではありません。旭山動物園の歴史でもっと底の時代といわれていた1994年頃のことです。

 しかも、何の番組かというと、詩吟の番組。えっ?って感じでしょ。全国各地で、そこいらにいる人に、俳句を読んでもらって、それを東京のスタジオと中継して、なんだかんだとする番組です。まぁ、研修上がりたての新人くんだったので、僕の仕事は、動物園を駆け回って詩吟読んでくれる人を探したり、旭川らしいカットを探したりと走り回ることでした。

 そのときって、全力で走っても人にぶつからないんですね。すっかすか。他方で、俳句を読んでくれる人を探すのが大変。だって人がいないんだもん。結局、土曜日の休日なのに3組しかいなかったような記憶があります。「なんで、こんな人のいないところでするんじゃい」って思ったことを覚えています。

■で、結婚後。

 で、いろいろあって、愛知にすんで結婚をするわけですが、その後、子供を連れて旭山動物園に。というのも、私の親戚が勤めるようになったということと、父が高齢者パスポートを使えるということで、孫も楽しめるだろうと動物園に連れていかれました。

 先般の思い出があるので、正直、「えー!まじかよぉ...」という気分満載で行きました。が、子供も感激なら、家内も感激。当然、私も感激しました。そのときは、ペンギン館がちょうど出来たとき。そんなにメジャーじゃなかった頃です。明らかに人が戻ってきていて、しかも誰も遊園地目当てじゃないんですね。動物目当て。

 このころから旭山動物園の快進撃が始まるわけです。それで、人で混んで混んでしょうがないので、最近は帰省しても行かなくなりました。

■スケッチ伝説。

 旭山動物園を語るときに、よく出て来るのは14枚のスケッチ。このスケッチを形にする投資をして成功しているといわれています。じゃぁ、企画屋に適当に企画書やスケッチを書いてもらって、それに必要金額を投資すれば成功するのでしょうか?

 たぶん、そんなことではないはずです。大事なのは、まず、その14枚のスケッチに至るプロセスです。それまでの間に、この動物園はなし得る限りの労力の投資を行ってきたはずです。ただの飼育係から展示飼育係へ。手製のポップ。もぐもぐタイム。夜の動物園。冬の動物園。これらは、僕が中高生になって動物園にいかなくなった頃から、既に取り組まれていたことです。

 これらの取り組みを通じて、「動物をこう見せたら、もっと知ってもらえる」という意識が芽生えて、はじめて、14枚のスケッチに至るのです。

スケッチにいたる、時間と労力の投資は外せないのです。14枚のスケッチのような企画書は天から降ってこないのです。当然、お金を出しても手に入らないのです。

■理解と応援。

 で、しつこいようですが、ここでまた詩吟番組の話に戻ります。「なんで、こんな人のいないところでするんじゃい」って、思いは顔に出ていたんでしょうね。先輩がこういいました

「ここの動物園の園長さん、すごく頑張ってるし、いい動物園にする取り組み沢山しているんだよね」

 僕はこの台詞、すごく覚えているんですね。今になって思えば至言です。実は、見ている人は見ていて、取り組みの価値も理解して、自分が持っているチャンスを積極的に使って、そこのために、いわば機会(チャンス)の投資をしてくれるのです。確かにたかが詩吟番組ですが、少しでも多くの視聴者に旭山動物園を見せてあげたいという思いなわけです。

 実は、旭山動物園のすごいのは、こうした自分自身を理解してくれる周り人々の、10年以上の、金銭では測れないさまざまな投資の蓄積があるのです。この蓄積が、もっとも大事なのです。当然、周りにこう思ってくれるぐらい、まじめにがんばらなければならないということです。

■そして決断。

 最後の最後に、動物園を潰すかどうかというところで、大逆転で水族館を作るお金を動物園への投資へと変更しました。この大型投資は、最後の最後、大きく飛躍するのに効きました。

 しかしながら、はじめの10年以上の無形の投資がなければ、言い換えれば、真の意味での14枚のスケッチもなく、周りの応援も理解もない中で、このトータルで数十億という投資をしたら、どうなっていたでしょうか?
 偶然、成功したかもしれません。でも、大きい確率で失敗したでしょう。おそらくは、お金をどぶに捨てることになったでしょう。

 他方で、投資をすることなく潰していたらどうだったでしょう。それは単純に、無形の努力が水泡に帰して、地域で応援している人はがっかりするでしょうし、次への取り組みの気力を無くすかもしれません。

 ある意味で、ここで一定の資金投資を決断したことは評価されるべきことだと思います。とはいえ、いまTVなんかを見ていると、この投資(ペンギン館やアザラシ館、モウジュウ館、チンパンジー館にオランウータンの綱渡りなど)にばかり目が向きがちです。それは、既にあるスケッチをなぞっているからこそ有効なのであり、効果的な資金利用になるのです。

 おまけに、こんな厳しい二択に追い込んでからの決断というのは、もっとどうにかならないのかとは思います。

■あなたのまちの14枚のスケッチ。

 最近では、どんどん、旭山動物園のような手法は各地の動物園が取り入れ、同じような展示を行っています。しかしながら、結局そういう動物園はこういう資金投資してもそれほどお客は戻ってきていませんし、当然、それほど増えていません。
 それは、結局のところ、その地域において動物園に「旭山動物園にとっての14枚のスケッチ」のようなものにいたる時間と労力と機会の投資が十分に行われていないということなのです。

 地域活性化は、やはり、ビジネスとは異なる側面があります。ビジネスにおいてはある程度は資金投資が大きいほうが勝つという側面があります。しかし、地域活性化の取り組みでは、どんなに逆立ちしても、適切な対象物に時間と労力と機会の投資が行われていない限り、それは必ず無駄金になるのです。
 地域の人たちが適切な対象物を見つけ、焦らずじっくりと、時間と労力と機会を投資して、資金投資の機会を待つことが重要なのです。そのタイミングは、あなたのまちにとっての14枚のスケッチがきちんと書きあがったときです。
 愚直にまじめに取り組んでいけば、いつかはちゃんとそのスケッチは描かれるのです。

 成功事例を見にいくより、まずは自分の地域と向き合ってまじめに取り組みましょう。

 今回は地域活性化の4条件であげた、対象物の選定をかんがえてみたいと思います。

 自慢話ではありませんが、今、私自身、いくつかの会のお手伝いをしています。北海道内で法人化しているものだけでも、岩見沢市の「薔薇香る癒しのまち岩見沢」、旭川市の「旅とぴあ北海道」、札幌市の「北海道こんぶ研究会」の三つがあります。この会はそれぞれ、市の花であるバラ、障がい者旅行、北海道特産のこんぶと、地域内の誰にでも 対象物が想起できる対象物を活動の軸においています。

■まちおこしでは「オンリーワンじゃなきゃダメだ論」はダメだ。

 この辺、結構、産学官連携等でのまちおこしでよくしくじる要因です。よく「オンリーワンじゃなきゃダメだ論」が幅を利かせます。頭の良い方などは、オンリーワンをよく理解でき、かつ、それを生み出す頭を持っているがゆえにその落とし穴に引っかかりがちです。ちなみに、どう考えたって、僕が手伝っている三つはオンリーワンじゃありません。でも、実はそのことこそが、非常に重要なのです。
 「地域活性化は何を活性化するのか」という基本に立ち返ると

地域の「活性」とは「地域に住む人が生き生きと元気に活動する状態」であり、活性化はその状態をより高めていくもの

なのですから、対象物は地域の人の行動を引き起こすような旗印でなければ意味がないのです。余りに高度で理解不能なオンリーワンであるならば、その対象物そのものは誰にでも分かりやすいものでなくてはいけないのです。
 社会学者デュルケムがその著作「宗教生活の原初形態(日本語訳岩波文庫)」で述べているような、その地域の構成員がその行動を律する方向性になるトーテム(信仰対象と結びついた記号)を選び出すことです。
 その本で、そのトーテムの効果を以下のように戦争を例に述べています。

「一つぐらい旗が敵の手に渡っていようといまいと、祖国がそのために失われることはない。にもかかわらず、兵士はそれを奪い返すために殺されることをも厭わない。彼は旗が徴(しるし)に過ぎないこと、それ自体は価値をもたず、ただそれが表象する実在を想起させるだけであることを見誤ってしまう。あたかも、それがこの実在であるかのように遇するのである。」

 なので旗印は別に平凡でも何でも良いのです。むしろ、その地域の構成員が熱狂的に支持できたり、日常生活の中で普通に接するものであることこそが重要なのです。なんだか分からない新しい旗印そのものに地域の人々は命はかけませんし、行動も起こしてはくれないのです。

■どこにでもあるものじゃ地元の人もつまらない?

 なんだか屁理屈が過ぎてしまいましたが、要はみんなが知っているものであるって事が結構重要なのです。「でもさぁ、それじゃぁ地元の人でも平凡すぎていやじゃないの?」という疑問が普通に出てくると思います。
 平凡なものを平凡に使うってのは、そりゃ無意味に平凡です。それは世界中誰でもいやだと思います。ポイントは、平凡なものを非凡に使うというところにこそポイントがあります。で、出来れば、非凡な使い方も誰もが参画できるような簡単なことなんだけれども、やったことがないような「コロンブスのたまご」的な利活用が重要です。
 今回はちょっと変わったゆきまつりを紹介します。

■吐いて捨てるほど雪はあるんだぞ

 雪ほど北海道に住んでいて当たり前で平凡な代物はありません。まぁ、人によってはスキーを楽しんだりスノーボードを楽しんだりと楽しみますが、平地のまちの中に住んでいたら、基本的に単なる厄介者です。弊社のある岩見沢市に至っては豪雪地帯で平地ときています。
 産学官連携の場面などでは雪冷房など雪の高度利用なんてのが流行っていますが、一般市民にとってはそんな高度な話はほとんど関係ありません。除雪がめんどくさいだけの代物です。まさに、吐いて捨てるほどあるものなのです。

 道外の人には札幌の世界的なイベントのゆきまつりや旭川市の冬まつりはある程度認識があるでしょう。すばらしい雪像や氷像に彩られたイベントです。でも、そんな世界中から職人が作り出したイベントは本当に一握りです。当然、岩見沢にもゆきまつりはあります。今年で18回目を迎えた 「IWAMIZAWAドカ雪まつり」です。北海道の方言でたくさん雪が降ってくることを「ドカ雪」といいます。残念ながら、そういう世界的イベントではありません。が、このドカ雪を活かしたイベントを工夫して打っています。

■まずは冬、フレッシュなドカ雪を楽しもう!

 もう規模の大きさや、造形のすばらしさなどは競ったところで意味はありません。岩見沢の札幌も雪は降りますが、売りは「ドカ雪」です。ドカ雪で楽しむことだけを考えようというスタンスなのです。

 ある意味、イベントの構成もハチャメチャです。例えば今年のドカ雪まつり。エンデューロ3時間耐久レースとMTBの90分耐久レース。ひたすら雪で出来た悪路を180分と90分それぞれ走り続けています。モンスター4駆の試乗会。ひたすら雪を盛り上げた悪路を周回しています。クレーン車によるターザン。ドカ雪で地面がやわらかいのをいいことに、どんどん雪に飛び込んでいきます。
 もう、とにかく、雪を加工しません。そのまんまの雪をひたすら浴びるように楽しみます。なんというか、北海道の料理の売りは豪快なことです、というのをお祭りバージョンにしたようなものです。地元の人も楽しんでいますが、来客構成比は半分ぐらいは札幌からとのことで、楽しそうに遊んでいる姿を見せるだけで、わざわざここまで来ているのです。

■もう一つおまけに夏にも雪を楽しんじゃおう!

 ドカ雪にしか出来ないこと。なんと、ドカ雪を夏まで残して楽しもうというものです。北海道で生まれ育つと子ども心に「この雪、夏あればいいのになぁ」って思うものです。北海道の夏は案外と暑いものですし、春先ぐらいまでちょぼちょぼと雪は残っていますし。
 で、雪を取っておこうとなると、大学やら役所やらの出番となりがちで、そして「難しすぎて一般市民は手出せません」という事態になって、まちおこしから遠ざかりとなりがちです。
 が、ここは違います。なんたって、ドカ雪ですから。ちょっと雪を積み上げて、ブルーシートですきだらけの遮光とすきだらけの断熱をして、土を盛って終了。なんと、これで真夏まで雪は残るのです。
後は残った雪でとにかく楽しむのです。題して「真夏の雪まつり」。
 この試み自体は残念ながら2回で終わりましたが、誰でも、協力を少しするだけで何かを形作ることに参画できる、という仕掛けを残すことが重要なのです。たしかに、かっこいい報告書になるようなものではないかもしれません。たぶん、他の地域の大学が参画し助成金が投下されているものの方が、よっぽどかっこいい事業に仕上がっているでしょう。
 でも、そんなことはどうでもいいのです。

 一番大事なのは「地域に住む人が生き生きと元気に活動する」ということです。それに最も近づくことの出来る、だれでも分かる対象物を選び、だれでも参加でき、かつ楽しめる対象物との付き合い方を生み出すことが重要なのです。

 さて、前回は北海道の美瑛町の丘の風景を紹介させていただきました。これを通して、地域活性化には地域の人、一人一人の日常の営みの大切さについて書かせて頂きました。
 今回は、前回提示した「地域活性化の4条件」のうちのもう一つ、「歴史的経緯」の価値について紹介したいと思います。

■歴史なんていらねぇんじゃないの?

 「地域活性化に歴史が大事」と聞いて、たぶん、多くの人が、「今がダメなのは昔のせいなのだから、昔あったことに固執して何かやってもうまく行くわけないじゃん」と思うかと思います。ある意味、このご意見は大正解です。と同時に、「そんなこと言われたって、うちの地域は歴史なんかないよ」という風に歴史不在なのでそんなことは出来ないと思うかもしれません。それもある面でそうかも知れません。
 「じゃぁ、地域活性化に歴史なんていらないじゃん。むしろ新しい何かをやればいいんじゃん」と、結論づけたくなるかと思います。その結論でいいのかもしれません。でも、歴史を活用すると、より適切な地域活性化への道標になり、またそのエネルギーにもなるのです。

■地域の歴史は地域の履歴書

 歴史の活用といっても、その地にゆかりのある、教科書に出てくるような人や出来事を核にして商品を造ったり宣伝をしたりする、ということではありません。よほど特殊な事情でもない限り、そんな歴史の活用は大体失敗します。
 大切なのは「今このコラムを読んでいる瞬間もすぐ後には歴史に組み込まれる」という認識で、その上で、その地域の成長の流れを把握することなのです。ちなみに、歴史は英語でhistoryで、履歴でもあります。歴史の活用で大事なのは、人の履歴を把握するように地域の履歴を把握するということなのです。大事なのは歴史上の特定の有名人ではないのです。
 今回は具体的な事例を出せなくて恐縮なのですが、過去2例とも、歴史の流れが大事な役割を果たしています。上湧別とチューリップのかかわりの歴史。美瑛と北海道農業の歴史。このバックボーンがなければ、仮に成功したとしても、多くの投資と、多くの労力を費やしたことでしょう。そして、その費やしたのに見合うだけの結果になるかどうかは怪しいところです。

■歴史に語りかける

 実は、私が地域活性化や商店街のコンサルティングをするときにまずはじめにすることが、郷土史を調べることです。例えば商店街であれば、その商店街が生まれた経緯や理由が必ずあります。当然、今、お客がこなくなっている理由も必ずあります。生まれた経緯や理由の方をまずは考えます。次に、こなくなっている理由を考えます。
 このときに大事なのは、変な一般論に惑わされないことです。「モータリゼーションによる郊外化」のせいだとか。「大型専門店に人気が集まったから」だとか。これは、国とか自治体とかが公平性の原理で支援を組み立てるために、理由を一般化してみんながソコソコ当てはまりそうな原因を言いふらすからに他なりません。
 生まれた経緯を大事に考え、次に今の時代や今のそこの地域の状況にしっかり合わせ、今本当にやるべきことを考えます。その結果が、商店街という形態をやめることかもしれませんし、大型店舗の誘致かもしれませんし、宅配事業化や通販事業化かも知れません。

■書を持って、図書館に行こう

 どちらにせよ、歴史を活用することで、マスコミの情報や思いつきでいろいろやってみるより、より当たりやすい地域活性化の計画が組みやすくなります。活動の方向性の流れを活動しながら判断するときにもひとつの指標になります。
 あと、歴史のない地域はありません。一度自分の住む地域の町史や市史を是非一度見てみてください。必ず、地域の活性化に役立ちます。とはいえ、買うには高いでしょうから、できれば地域の図書館で。

 さて、前回は北海道の上湧別町のチューリップ畑を紹介させていただきました。必ずしも、私の見方が正しいと言い張るつもりはありません。
 それでも、今回はその話をもとにして、つらつらと地域活性化をしていくのに必要な考え方を紹介したいな、と思います。

■地域活性化の4条件

上湧別のチューリップ公園の事例から、地域活性化に必要な四つの選択肢が示せていると思います。 一つは、チューリップを植え続けるという「地元の人の毎日の営み」。
 一つは、チューリップ産業にまつわる「歴史的経緯」。
 一つは、チューリップ観光のための「投資行為」。
 一つは、チューリップと言う万人が分かる「対象物の選定」。
どれが最も地域活性化に重要かという話ではなく、私はその全てがきちんと整うことが必要だと考えています。どれが欠けても、適切で息の長い地域活性化は成立しません。

 とはいえ、これが存在しないと何もはじまらないというものが一つあります。
 それは「地元の人の毎日の営み」です。
 地域活性化の要諦は、地域に住む人の活動にあると私は信じています。と、同時に、私自身は、それそのものが地域活性化に他ならないと信じています。地域の「活性」とは「地域に住む人が生き生きと元気に活動する状態」であり、活性化はその状態をより高めていくものに他なりません。
 いわば、残りの三つの条件「歴史的経緯」「投資行為」「対象物の選定」は、活性をより高めていくための手段に他なりません。

■これもまた事例で考えてみよう

 まずは、地元の人の毎日の営みが地域活性化につながった事例を考えて見ましょう。

 私事で恐縮ですが、高校生の頃一年間、美瑛と言う町の高校に通っていました。ジャガイモの産地、また、丘の町で有名な美瑛町です。高校生のときの学習で、徹底的に、保健体育の先生に「うちのまちはイモの町だ!イモの町で有名になるんだ!」と教育を受けたことを良く覚えています。ちなみに春と秋の体験学習はイモ植えとイモの収穫でした。
 まぁ、かっこいいことを求める当時の高校生の感覚的には「ちょっと勘弁してくれよ~」と言う感じであったのを覚えています。毎年夏に、通学列車は観光客でいつも満席。マナーの悪い当時の私どもなんかは、どうやって観光客に座らせないで、自分が座って帰るかばかり考えていたように記憶しています。
 なんと言うか、そんなこんなで、当時はこの学校に通うのが嫌で嫌でしょうがありませんでした。でも、今思うとこの方たちは、美瑛の丘を見にやってきていました。今思えば、地域活性化の現場そのものに子どもの頃から実感できるカタチで身を置いてきたいえます。

 さて、当然、写真家やTVの力で来ている観光客ではあります。とはいえ、写真家やTVの舞台になるような風景はどのように出来上がったのでしょうか。丘の風景は、この地域に住んだ方々が長い年月の間、農作物を取り続けるために整備し、代々引き継いでいっただけの大地です。
 それでも、その高校に一年通って思ったのは、美瑛の風景は四季を通じて常に美しい風景が出来上がっています。
 そして、その風景から、美味しい農作物やハーブ原料なども生まれてきています。そうしたものの販売や加工品の販売などで地域経済もそれ相応の賑わいを生み出しています。当然、遠路からの旅行客の宿泊のためのペンションなども然りです。

■惰性の営みからやる気の営みへ

 この事例では、明らかに美瑛の農家の毎日の営みがそのキーになっており、日々のまじめな農作業がいい景色を産み、その景色を軸にその地域における様々な人の活動を活性化させています。
 ところが、この美瑛の話には、もう一つ示唆的な問題点もはらんでいます。地域全体として人の営みは色々と活性化しているのですが、農家そのものに活性化のためのフィードバックが少ない、という現実があります。一時期、あまりにもマナーの悪い観光客の増加によって農地があらされたり、丘での農業という不便を避けて平らに造成することを選択するなど、その売りである丘の上での農業の風景をあきらめることも少なからず発生しました。
 いわば、日々の営みをシフトしたり、営みを減衰させるという現象が発生したのです。いわば地域不活性化の方向に進んだともいえます。

 結局、この事例の顛末は、この地域活性化デメリットを享受している地域の人たちと、この基軸になる風景を生み出している農家で話し合って、適切な落としどころを見出しました。
 ただ、この不活性化の原因はどこにあるのでしょうか。ここに地域活性化を考える落とし穴があります。活性化の本筋は地域の経済上のメリットを得ることではなく、地域の人の営みが活性化する、すなわち積極的に地域の人が活動することです。加えていえば、「その活動をしよう!」という気持ちになることです。
 地域の農業者の営みが地域に人を呼びましたが、地域の人々の営みとはいいがたかはずです(私のような高校生が一部イモ畑は作業しましたけど)。そこに、農業者のやる気をそぐような出来事が次々と起こりますと、結局その営みは減衰していきます。往々にして、地域活性化の結果は、その主たる内容を作り出している人のやる気をそぎます。
 そうなる前に、地域全体がどのような手を打つかが、そのポイントになるのではないでしょうか。


 彼らがどういう手を打ったのかなぁということを考えながら、美瑛の丘を眺めて近隣のペンションにとまって楽しむのも一興かと思います。有名な観光地ですが、近隣の富良野、旭川をセットにして是非ゆっくり滞在してください。

 色々なご縁があって、このたびからこのコーナーをお借りして、コラムを始めることになりました舟橋と申します。地域活性化やまちづくりについて、皆さんと一緒に考えることの出来るような、コラムを書かせてらおうと思います。皆様よろしくお願いします。

 香りの会社が地域活性化のコラムも無いだろうと思われるかもしれませんが、このネイチャーテクノロジーは創業のときから、その立地する岩見沢市の地域活性化、特に産業面での活性化を掲げています。この辺については、別のところで書かせていただいたコラム「CANだけじゃ足りない!地域を生き返らせるには」に書いていますので、同社のことは後日再評価するとして、ここでは少し一般的な話から入っていこうと思います。

■地域活性化あれこれ

 当たり前の話なのですが、地域活性化という言葉は、「地域」と「活性」と「化」からなっています。屁理屈をこねれば「地域」というものを「活性」した状態に「化」けさせると言うことです。では、「地域」と言うのは何で、それにおける「活性」とは何か、と言うことを面と向かって問われると、多くの人が「地域=市町村(もしくは都道府県)」で、「活性=経済上の利益」と答える方が多いと思います。

 多くの成功事例と呼ばれるものを見て回ると、確かに、その事例が属する「地域(市町村)」の「活性(経済上の利益)」が向上する方向に「化」けています。ところが他方で、特定の産業の発達で、市町村の経済上の利益が向上しているにもかかわらず、防犯の問題や地域コミュニティの崩壊など他に違う問題が発生しているような事例もあります。こういう地域に住まれる方は、決して、自分の地域は活性化している、とは思えないようです。

■事例から考えよう

 ちょっとした、地域活性化の事例を紹介しましょう。  北海道の東のほうにかなりマイナーな町で、上湧別町と言う町があります。
 このまちのチューリップ公園は知る人ぞ知る公園で、私も家族で見に行ったことがあります。かなり壮大なチューリップ畑の風景が楽しめます。とても辺鄙なところですが、毎年、10万人以上の来場があります。花を基軸にした地域活性化への試みはたくさんありますが、ここの事例はちょっと変わっています。

 実は、この町は、一度チューリップで経済活性化を試みて失敗しています。いわゆる、農業の高付加価値化を夢見て、新しい高収益作物としてチューリップに目をつけました。ただ、この町だけが特別と言うわけではなく、富良野のラベンダーや北見のハッカなど、北海道では昔からこういう花やハーブを活用した地域経済活性化の目論見と言うのはものすごく多く、成功失敗は枚挙の暇もありません。
 
 この町のチューリップ生産は、昭和35年から昭和41年まで、延びていたチューリップ市場にのって、成功したかに見えましたが、昭和41年にオランダの球根の値下げをきっかけに輸出がしぼみ、同町での産業としてのチューリップ栽培は終焉を迎えました。

 それでも、生産農家を中心にチューリップへの愛着は深く、産業用ではないにせよ、多くの方が、自宅周辺に植えたり、畑の片隅に植え続けていたそうです。
 
 昭和50年には、チューリップを栽培してきた歴史を残そうと、地元の老人クラブなどが中心となって、老人農園(今のチューリップ公園の場所)に、ひっそりと自主的に植え始めたのです。初年度は2アールだったのが、昭和60年ごろには30アールになりましたが、ひたすら、老後の楽しみとチューリップの歴史を残したいという想いだけで続けたのです。ところが、その国道沿いに広がるチューリップ畑は、車で通過する人々の目に留まり、毎年春には多くの人が自然に集まるようになりました。

 この状況に町が着目し、昭和60年から町が予算を使い、一気に公園が整備されていきます。昭和63年には、正式な町立の「チューリップ公園」として指定。5月上旬から6月上旬までチューリップフェアも開催され、毎年10万人以上の観光客で賑わう観光地に成長しました。
 「なんだ、たった10万人か」というかもしれませんが、ここの人口はたった6000人弱。この基礎人口で、これだけ集めることが出来るのは立派です。ちなみに、6万人の都市なら、100万人の集客に相当します。36万人の都市に対しては600万人の集客。36万人と言えば、旭山動物園のある旭川市に相当します。かの旭山動物園だって、600万人は呼び込みません。
 こうしたものの関係性は、人口比だけで語れないにせよ、かなりの集客力のある場を生み出していることはご理解いただけたかと思います。

■本当の活性化、本当の地域

 で、この事例から皆さんにちょっと考えて欲しいのです。特に、自分の住んでいる地域の活性化に取り組んでいる皆さんに。

 たぶん、売り上げやらなんやらで雇用や税収も生んでいると思います。そういう意味では経済の活性化とも言えます。でも、この大本の老人農園を作った老人たちは、そういうことを考えて公園を作り始めたわけではありません。他方で、状況に注目した町はおそらく、そういうことを計算に入れて投資をしたのだろうと思います。

 では、地域活性化という点で見れば町の手柄である、と言えるのでしょうか。それとも、高付加価値作物としてチューリップを導入した人でしょうか。少なくとも経済的な意味合いで地域活性化を狙ったのはこの二者のはずです。

 もっと意地悪く言えば、このチューリップの目論見を初めに挫折させた、オランダでしょうか。怪我の功名という側面のあるのですし。それとも、多くの人に愛でられる素質を持ったチューリップという花自身の力だけでしょうか。

 この事例には多くの地域活性化のヒントが眠っていると、私は思うのです。と言うまじめな話もいいですけど、純粋に花を愛でに楽しみに言ってみてください。植物テーマパークではきっと日本一ですし。