2008年10月アーカイブ

 私の地元の水害の方は、ph11_1.jpgその後、多くの皆様のおかげで、国家元首の舌下事件を生んだ程度で無事すみました。まだ完全復旧ではないところもありますが、この場を借りて御礼申し上げます。
 さて、先日の10月10日で愛知県安城市のはずれに移住して10年たちました。気がつけばひとところに住み続けている期間では一番長い土地になりました。とはいえ、この前後は、イベント企画に講演会講師にと珍しく忙しく、10年という記念の実感はまったくできませんでした。(この間の仕事はコラムの参考になるような内容も多かったので、追々紹介していきます。)
 で、ようやくひと段落して、娘と近所を散歩して、安城の秋を観察しながらようやく振り返ることができるわけです。

 

 

■地域活性化を目指して

ph11_2.jpg正直、安城市を活性化しようと思ったことは一度もありませんでした。そもそも、僕の地域活性化の対象そのものは、もともと自分の故郷である北海道であったわけです。10年前の(今でもですけど)北海道の各都市と安城市では、経済面、自治体財政面で見たときに圧倒的に、安城市のほうが優れています。
 地域の活性化といえば、この指標のよしあしこそがすべてで、どうしたらその指標を良く出来るのかと思い込んでいて、それに関してのみ一生懸命でした。また、それと同時に、安城市がなぜその指標が優れたものになるのかを一生懸命解析した10年でもありました。
 ところが、10年間、安城市に住んでみて安城市がはたして活性化している地域か、と問われると首をかしげるところも少なくありませんし、経済、財政面で苦しいからと言って北海道が不活性な地域かというと、それもまた首をかしげるところがあります。

 

■金があれば活性化なのか

  ph11_3.jpg金があれば活性化なのか。一番、この地域に住んで考えさせられたテーマです。正直、所得も税収も安城市は優れて多い地域です。他方、北海道の自治体は税収も怪しく、個人の所得も下手をすれば半分ぐらいの世帯が生活保護なんていうところもなくはないそうです。
 でも、お金があってもそのお金を持って部屋にこもっていれば、その人の活性化という意味では活性化していないでしょうし、地域がそういう人ばかりでは地域が活性化しているとはいえないでしょう。正直、安城市はこういう状態になりつつあると思いました。活発に活動される方がいる一方、多くの増え続ける新規住民が事実上、こういう状態に陥りつつあります。
 他方、北海道の過疎自治体なんかに行くと、総人口が減っているため人数は少ないけれど比率としては非常に多くの人が、活発に地域をよくするための活動をしています。逆説的ですが、金がないからこそむしろ活性化しているといえます。ボランティア労働かも知れませんが、その間に物々交換が発生したりと結構、楽しく暮らしている地域の姿が目に入ります。

 

■自治体破産という罠

  ph11_4.jpgこういうボランティア労働に対し、現金を伴わないとだめだ、とか、税収が目減りするという議論があります。で、ひいては自治体が破産する、という議論です。たしかに、憲法で日本人である以上、納税の義務は必ず果たすべきです。
 しかし、日常の困りごとを適当に主体性を持って、みんなで解決してしまえばその解決行為に対して何の金銭授受が必要なのでしょうか?その地域で誰が困るのでしょうか?みんな重要なことを忘れているのです。自治体が破産しても、地域に住む人々は存在できるし、相互に地域の問題解決を出来るのであれば、自治体なんかなくてもいいのです。
 乱暴な言い方をすると、破産して困るのは、地域住民ではなく自治体組織そのものと自治体職員と自治体を活用して統治機構を構成している政府が困るだけなのです。要は自分(自治体勤務の方以外)は困らないのです。ただし、ちゃんと地域の中でのボランタリーな問題解決に参加することを嫌がらなければですけど。
 実は、安城市の10年で最も学んだのがこれです。地域問題の自己解決の精神です。それがあるからこそ、自治体は支出が減って、結局健全財政の自治体になります。

 

■自己解決の精神

  ph11_5.jpg  ところが、これが住みよい地域につながるかどうかという点では、首をかしげることしきりです。「地域の中でのボランタリーな問題解決に参加」というのが、僕みたいなよそ者には実に難しいのです。これに参加できないと、自治体が提供する不十分な生活メニュー(残りの部分は地域で担ってるから)しか見つけられず、非常に住み悪い地域に感じるわけです。そうなると「お金があってもそのお金を持って部屋にこもって」いるだけの状態になりがちで、商業ベースで提供されているサービスを金で買って全部満たす以外の発想が生まれないわけです。
 「地域の中でのボランタリーな問題解決に参加」するのが、これまた非常に難しい。いろいろな地域の実情だの不文律だのを乗り越えないと参加できません。そのうえ、そうした不文律を乗り越えて、一見参加できても、実はかみ合っていないことも非常に多く、にっちもさっちも行かないことが多いのです。「この10年間どれほどこれで苦汁をなめたか」という台詞も出てきます。
 また、その参画そのものに苦痛感が少なからず伴うこともしばしばです。参加した活動そのものが嫌いなわけでもないにもかかわらずです。結局、苦痛感が蓄積して、住んでいてもあんまり本人には幸福感がないのです。

 

■地域のリズムに乗れるのか

ph11_6.jpg 結論をいうと、苦痛感なくやるために一番大事なのは、地域のリズムに乗ることでした。ところがこの地域のリズムというのは、地域に住んでいてもよくわかならなかったりします。たとえば、行政機関であれば年間サイクルのような行政のリズムがありますし、会社には監査報告なんかで決められた会社のリズム、当社のようなベンチャーであれば非常にアップテンポな業務のリズムがあります。なんとなく、所属することでその辺は会得できるわけです。特に学校教育が年間サイクルなので、会社だの行政だののリズムには比較的すぐ適合できるわけです。
 で、この地域のリズムって奴が曲者で、私も安城市に10年住んでも正直まだよくわかりません。ただ、毎日暮らしてみないとこのリズムは見えてきません。ただ、地域で暮らすためのサイクルと言ってもいいでしょう。ただ、このサイクルを会得しないと、地域に溶け込むことも難しいでしょうし、うまく行くのはこれにうまくマッチしたときだけだなという実感もあります。これを抜きに地域を動かして変革することも大変です。皆さんの自分の地域のリズムって自覚できてますか?


 住みよい地域であれ住みにくい地域であれ、住んでいるんだから慣れて都にするか変えて都にするかは、本人の意識次第です。とはいえ、まずは地域のリズムを会得してその判断が出来るようになってください。
 で、僕はどっちって?
 朱に交わって青にする、というのを自分のマインドの基本においてますんで。この頑強な地域とがっぷり組み合っていこうと思っています。でも、疲れるんだよなぁ。歴史ある地域って。
 とかいいつつ、普段の生活では子供とどんぐり拾ってるだけなんですけど。

舟橋主任研究員

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