- 近代香水の歩み -

近代香水の萌芽は、15世紀頃 イタリアの修道院でワインを蒸留して採ったアルコールに香りのエッセンスを入れ香水に調整したのが、始まりと言われています。
14世紀中頃には、柑橘とローズマリーをアルコールに溶かしたハンガリア水が、又、16世紀になると匂い手袋が登場し大変流行します。グラースの町も時流に乗り、発展を続けました。

しかしながら 19世紀後半になると合成香料が発明され、状況が一変します。天然香料を良く研究して、その成分を調べ、香りとして価値のある物を人工的に造りだし、香水に使われえるようになります。

しかも面白いことに、天然の物を研究していくうちに、自然界にない化学構造の全く新しい香りを作り出す事が出来るようになり、 新しい香りが発見されるたびに、新しい香水が世に生み出されるようになり、近代香水の市場は飛躍的に発展していきました。

- 戦後の香料産業 -

第二次大戦後、シャンプー、トイレタリー関連の市場が大きくなり、次第にコロン自体使われなくなって行きます。市場はいかにして低価格で、安定供給するかと言う方向に進み、香料の勢力地図も大きく変わっていきます。
市場が拡大しても天然香料の供給には限りがある為、市場の拡大は、そのまま合成香料の拡大につながっていきました。

- 食品香料への変換 -

一方 食生活の方は冷蔵庫の発明と、物流の発達により、我々の食卓でも保存の効く加工食品が主流になっていきます。そこで市場は加工食品の匂い、味を補う為に、フレーバーを多用するようになり、盛んに天然香料が使われるようになりました。
現代の我々の食生活において、いまやフレーバーは欠かすことができない存在になっています。既にフレーバーの市場はフレグランスの市場を凌駕し、益々拡大を続けています。そしてフレーバー市場でも、市場の拡大により、しだいに天然香料は、合成香料に押されていきます。

- 天然香料の未来 -

一度は主役の座を合成香料に奪われた天然香料も、近年その地位を回復しつつあります。環境破壊や化学製品の人体への危害が、 人々を深刻な状況まで追い込み、自然回帰が叫ばれる様になり、ここに来て天然香料が、見直されるようになりました。
特に エッセンシャルオイルは、アロマテラピーに広く使われ、人々の精神面でのリラックス効果のみならず、近年病理学的にも、機能性の研究がされています。
他方、食生活においても、近年 食の安全が重要な問題にされ、人々の関心は原料一つ一つのトレーサビリティーに 寄せられてきています。

- シャラボの目指すこと -

シャラボは天然香料の新しい用途を開拓しています。 従来の蒸留や抽出に留まらず、最新の Fraction 装置や、分獲蒸留などの技術を駆使して、今般広く パートナーと協働でビジネスの機会を得たいと考えています。

第三話 完。

*(豆知識1)錬金術師の仕事 *

錬金術師と言うとなにかいかさま師のような印象が有りますが、決してそうではなく、紀元前エジプトに源を発し、中世までの長い間、現代化学や薬学の基礎作りに貢献した、化学技術者の事を指します。
香料の分野においても、古くは 9‐10 世紀頃のアラビアでは水蒸気蒸留器を発明し、花や草から香料を抽出する方法を研究したり、匂いの性質について観察や実験をしたりしました。

又、匂い手袋の加工も彼らの手で行なわれました。 中世以降、香水の処方を作り、王侯貴族のお抱え調香師となった人の中には、錬金術師出身の人が多かったようです。 実際オットーローズもペルシャの錬金術師 (医師もしていた !) の何らかの実験の偶然の発見とされています。

*(豆知識2)ポルトガルとスペインの戦い *

スペインとホルトガルの両国は、前者が西に向かって大西洋からアメリカ大陸そして太平洋へ、後者は東を目指して、アフリカ大陸の南を回って インド、そして東南アジアへと互いに新しい航路の発見を競っていました。
両国は国力とキリスト教を伸ばさんがため、インドを中心とする 南アジアの香辛料を支配しようとしました。彼らが求めた物は、インドの胡椒、セイロンの肉桂、モルッカの丁字とナツメグです。

これらのスパイス類は、15世紀のヨーロッパ人にとって、香辛料としてはもちろん、薬として、また嗜好品として欠くことのできないものとなっていました。 ことに丁字は 抗菌性、防腐性に優れ、その味と匂いは、あらゆる料理に適し、そのうえ、精力剤や媚薬としての効果さえ有ったのですから、夢中になるのも無理は有りません。

- 香料の老舗 シャラボ - : 香料の話 第二話は、香料の老舗シャラボの歴史です。

シャラボ は フランス革命の 10年後 1799年 グラースの町で産声をあげました。カンヌから グラース を通ってグルノーブルを抜けて行く ナポレオン街道が、町の中心部に通っており、シャラボのヘッドオフィスもその通り沿いに在ります。

以来 209年の長きに亘り今日に至るまで、独立企業として天然香料の分野で、常に重要な役割を果たしてきました。現存するグラースの香料会社の中で、最も古い歴史を有しています。現在従業員は約400名、海外拠点は20ヶ所を数えます。

- シャラボの転機 -

そのシャラボにも 戦後転機が訪れます。幼少の頃、グラースで丁稚奉公をいていた Mr. Barthlemy SANSOLDI はポルドーに移り、 Geranium Oil で財を成し、再びグラースに戻りました。 1952年 シャラボのオーナーとなった彼は、そのネットワークと天才的勘で、 シャラボを急成長させていきます。

- シャラボの取り組み -

シャラボは長い歴史の中で培われたネットワークを生かし、天然原料の産地から最終製品まで、一貫した管理を行っています。シャラボの最大の強みは何と言っても世界に広がるこのネットワークです。これを生かし、コントロールが難しいとされている、天然香料の品質、価格、そして供給の安定を実現しました。また、最近は透明性、安全性への取り組みも重要な要素で、この分野においても、リーダー的存在になっています。

日本においても1966年に事務所を設け、大手香料会社、化粧品、トイレタリー メーカーに積極的な販売活動を行い、天然香料の サプライヤーとして確固たるポジションを築き上げました。

第二話 完。

* (豆知識) 前 965 - 926年 : シバの女王とキングソロモンの伝説 *

アラビアの南西端にある 香料の宝庫 シバの国には、絶世の美貌と明晰なる頭脳の持ち主としてシバの女王が権勢を誇っていました。 同じ頃、地中海岸のヘブライ王国は博識と機知の人、ソロモン王の時世でした。

シバの女王は ソロモン王の名声を伝え聞き、難題をもって彼を試そうと、はるばるエルサレムへやって来ました。ところが、王はその難題をことごとく解いてしまい、女王の心は驚嘆から敬服の情へと変わって行きます。

さらに今まで嗅いだ事もない 甘松香や沈香など、東洋の香料を見せられ、女王は全く気を奪われてしまい、とうとう愛情を捧げる事となり、その時生まれた子が、現在のエチオピア王室の祖先であると言われています。

- 香りの都 グラース - : 香料の話 第一話は、香りの都グラース市の歴史です。

地中海に面した 南仏 コート・ダジュール、 グラースは ニース から 40km、カンヌから 17km 山側に入った小さな町です。
地中海性の暖かい気候と、フランス アルプス南端の丘陵から湧く豊かな水に恵まれ、四季を通じて色々な花が咲き乱れ、その花々から香料を採取する香料工業があって、近代香水の名香の数々が、ここから生まれました。
中世以来の古都の面影をそのまま残す町には、昔からの職人的魂が生きづいています。

- 皮革の町から香料の町へ -

グラース の町は 12~3世紀頃から栄え、イタリア に近く水に恵まれていたことから、なめし皮の産業が非常に盛んでした。当時は皮手袋をするのが流行っていて、どこへでも皮手袋をしていくので、皮臭い匂いが手に付くのが悩みでした。
そこで皮の匂いを消す為に、グラース で咲いている花の匂いを付けるようになり、次第に商売として成り立っていきました。そして 17~8世紀頃、なめし革は ストラスブールに移り、香料産業だけが残り、天然香料の発祥の地として現在に至っています。

- 天然香料の最盛期 -

20世紀初頭まで カンヌ は、グラース からの荷物を出荷する小さな港にすぎませんでした。当時の貨物船にはグラースで採れた花の精油が満載され、世界中に出荷されていました。このことからもグラースが香料産業の中心として栄えていた事が伺えます。
しかし、グラースの町が一番栄えたのは、第二次大戦までで、戦後になるとドイツやスイス、 オランダあたりの合成香料が台頭してきた為、天然香料主体で、設備投資をあまりしなかったグラースの会社は市場から次第に取り残されていきます。

第一話 完。

*(豆知識) 前 1世紀頃 : クレオパトラの化粧代 *

古代エジプトの婦人達は 化粧にたいへん関心を持っていたと言われています。 朱で唇を染め、頬を赤くし、アンテモンから作った黒い粉でアイラインや眉を書き、指や爪まで染料でマニュキュアをしました。

又、肌を柔らかく匂いをつけるために、香油や香膏を体にすり込むといった具合で、材料こそ違え、現代女性とほとんど変わらないおしゃれをしていたと思われます。

その代表的な人が、紀元前 1世紀頃の女王 クレオパトラです。 彼女の香料好きは有名で、1回に400デナリ(約20万円) もする最高級の香油を塗っていたと言われています。

城主任研究員

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