2008年7月アーカイブ

「アロマテラピー」と「アロマセラピー」の使い方の違いは何?と、よく聞かれますが、もともとはフランス語のAromatherapy(造語)-芳香療法(香りを利用した治療法)のことですが、「Aroma」(芳香・香り)と、「Therapy」(療法・療養)を組み合わせてできた言葉でもあります。しかし言い方は二つの言い方で使われています。「アロマテラピー」、「アロマセラピー」ともいいます。どちらが正しいのでしょう?

 これはどちらも正解なのでしょうが答えです。

 「テラピー」がフランス語の読み方、一方の「セラピー」が英語読みなだけなんですね。いま日本では英語式かフランス語式かの違いだけで使われていますが、フランスとイギリスのアロマに対する使い方には大きな違いがあります。

 では、フランスとイギリスのアロマテラピーの大きな違いはというと、フランスではアロマテラピーの処方を医師によって始まったので治療として行なわれています。つまり精油を使って治療が行われるため内服することだってあります。現代医学では完治が難しい病気などに利用されて、薬のように医師によって処方してもらっています。だから完全に医療の一環として扱われています。

 一方イギリスでは、マッサージ(トリートメント)が主体となります。日常生活の中に上手に取り入れ、ちょっとした身体や心の不調や、バランスを崩しそうなときなど、病院に通う前、あるいは治療後のデイリーケアとして使うことが多いのです。つまりメンタルケア、スキンケアなどとして用いられたり、癒しを求めてアロマを取り入れているようです。それがイギリス式アロマセラピーの目指すところでもあるようです。

 日本では残念ながら未だ医薬品としても医療としても認められていませんのでイギリス的な利用をされている理由がここにあると思われます。雑誌等でもよく言う「アロマの香りでリラックス」という言葉はちょっとおかしい表現なのです、それは「頭痛が痛い」といっているのと同じようなものです。

 アロマなんとかという商品がやたら出回っていますが、これはアロマテラピーのイメージをますますゆがめるよくない原因・風潮だなぁと思っています。本来、植生精油を使って、あらゆる不調の改善に役に立つアロマテラピーはすばらしいものなのに、アロマセラピーになると「いいご趣味ですわね」というイメージを持たれてしまうので、はたしてこれがいいかどうか疑問に持ちます。

 通常言われているエッセンシャルオイル(※)とは、植物から抽出した天然の精油のことですが、現在アロマテラピストが用いている精油は40~120種ぐらいです。各植物によって特有の香りと機能を持ち、アロマテラピーのベースとなる素材です。この精油はしばしば合成のポプリオイルなどと一緒に売られており、知識がなければ、合成か本物かを見分けることはかなり難しいことのようです。

 それがわからないと安価なポプリオイルのほうを手にとってしまうことでしょう。しかしそれをアロマテラピーに使うとか、ましてや肌につけるとなると、かなり心配になってしまいます。精油の見分け方としては、信頼できるメーカーで作られているものか、とか、学名・産地・成分が記載されているかといったことが目安になりますが、これもあてにはなりません。

 フランスやイギリスでは精油を薬として用いることが国家的に認められており、保険もききます。精油の処方も医療の資格を有しないとできないのです。一方日本では、精油は「雑貨」という風に扱われており、どこででも買えることにどうかなと思います。日本でもアロマテラピストを国家資格にしていただきたいものですが、残念ながらそれはまだまだ先のようです。

一口メモ

※アロマテラピーという言葉は、1930年代、フランスのガットフォセさんが実験中にやけどを負い、たまたまそばにあったラベンダーの精油をふりかけたところ、劇的に治癒したことから、この植物療法を「アロマテラピー」と命名したことが始まりです。

※エッセンシャルオイルは数千年もの間、エジプト時代以前から治療にも使われてきましたし、化粧品をつくるのにも使われてきました。現在英国では、アロマテラピーのレベルの向上のために、協会が設立され、老人のための施設やホスピス、精神科などにおいて用いられています。フランスでも利用法は全く異なりますが、保険診療の対象になっています。

ネイチャーテクノロジー(株)のホームページに「森林セラピーについて」の項目があり、社団法人国土緑化推進機構の協力でコラムを作られました。

 「森林セラピー」は、林野庁の「美しい森林づくり推進国民運動」※や(社)国土緑化推進機構でも、森林の持つ多様性の中の「森林浴」をリラックスさせる"癒し"効果として案内してきました。しかし、その効果については感覚的に語られてきたにすぎませんでしたが、やっと林野庁等でもこころと身体の健康に活かそうと「森林浴」から「森林セラピー」として、その活用方法等に「森林セラピー基地」や「森林セラピーロード」を全国に認定してきました。

 詳しくは(社)国土緑化推進機構の情報・普及部の木俣知大さんのお話が掲載されていますので読んでください。

http://www.nature-technology.com/cont.html?cid=463&ccid=461&ssid=0

※林野庁の「美しい森林づくり推進国民運動」は下記アドレス

http://www.rinya.maff.go.jp/utsukushiimoridukuri.html

 上記の林野庁の「美しい森林づくり推進国民運動」にアクセスしたらわかりますが、その案内に私自身が登場しています。ボランティア団体を代表しての参加ですが、私もこの運動には普及啓発者として貢献しています。講演等に顔を出しては森林の持つ機能性の中に「森林セラピー」の効能を伝えるようにしています。昨年の秋にも埼玉県の「県民の森」において「癒しの森リフレッシュ講座」を開催し森林セラピーの体験を行い大変好評でした。

 まだまだ森林から得られる森林療法は多くの方に認知されているわけではありませんが、林野庁や関連団体が積極的に普及活動を進めはじめました。

「森林セラピー」...近年よく耳にするようになったこの言葉は、もともと森林療法として知られています。森林の地形や自然を利用した医療、リハビリテーション、カウンセリングなどのことを言います。わかりやすく言えば森林浴、森林レクリエーションを通じた健康回復・維持・増進活動に努めるものです。

 植物は光合成を行い、光合成は太陽の光エネルギーを利用して、炭酸ガスと水から炭水化物を作り酸素を放出します。フィトンチッドは二次的に作り出される成分です。このフィトンチッドに、作りだした植物自身を護るさまざまな働きがあります。

 他の植物への成長阻害作用、昆虫や動物に葉や幹を食べられないための摂食 阻害作用、昆虫や微生物を忌避、誘因したり、病害菌に感染しないように殺虫、殺菌を行ったりと多彩です。樹木は土に根ざしているため移動することができません。そのため外敵からの攻撃や刺激を受けても避難できませんから、フィトンチッドを作りだし、それを発散することで自らの身を護るわけです。

 1930年頃、旧ソ連のB.P.トーキン博士は、この植物の不思議な力を発見し、 フィトン(植物が)チッド(殺す)と名づけました。 フィトンチッドがもたらす効果は、大きく分けて次の3つが挙げられます。

■ リフレッシュ

森林浴の爽快感はどなたでもご存じだと思います。自律神経の安定に効果的と言われ、肝機能を改善したり快適な睡眠をもたらすことも知られています。

■消臭、脱臭

森林へ行くと、悪臭の原因となる動物の死骸や枯れた木などがあるにもかかわらず、爽やかな空気が広がっています。森林には空気を浄化したり、悪臭を消す働きがあります。 こうした消臭作用は身近な生活臭に効果的です。

■抗菌・防虫

食品への防腐、殺菌を始め、部屋や浴室のカビ、家ダニなどへの防虫にも効果的です。 抗菌作用は、人体を蝕む病原菌にも有効です。人体に安全な天然物質ですから、副作用の心配がなく穏やかに作用します。

 ヨーロッパ、北米では、森林を活用した自然療法の例が数多く見られます。その中でもドイツにおける自然療法は120年におよぶ歴史があります。

ドイツにおける自然療法は以下の5つから成っています。

1 水療法:温冷水浴

2 運動療法:森林散策

3 食物療法:ハーブ、薬草を用いた料理

4 植物療法:アロマテラピー

5 調和療法:心身の自然との調和

 ドイツの健康保険システムでは、3年ごとに自然療法の希望を取り入れることができます。病気を予防する目的のために利用する性質もあって、いつでも自然療法を受けられるようになっています。また申請により3週間の休暇が保険の適用になります。健康保険はフランスでも自然療法に適用されており、国内に点在する温泉に長期滞在し、処方箋に基づいて温泉療法や散策などする、長期滞在のプログラムも作られています。

 森林浴が体にいい、というのは一般的に知られていますが、人体に生理学的におよぼす影響というのは今まで証明されていませんでした。森林セラピーからの効能はこれからますます注目されていくと思います。

 新年を迎えて感じる事は、地球環境問題が色々なところで話題に上るようになってきました。特にテレビでは地球温暖化の特集番組ではかなりの時間をかけてやっているので皆さんも気付いているでしょう。

 最近は新聞の社説などでもよく採り上げられていますが、一口に地球環境問題といっても、大気汚染、水質汚染、土壌汚染、地球温暖化、オゾンホール、砂漠化、種の絶滅など、色々な方向からの取り上げ方がありますが、私たちが生きる上で身近にせまる地球規模の危機の問題であることには変わりありません。

 環境問題はまさに地球規模の問題であり、一国だけでは駄目で、世界規模で連携して取り組まなければなりません。現在、地球温暖化、二酸化炭素の増加問題があります。火力発電所や自動車の排気ガスによる空気の汚染問題でもあります。これも社会の進展度、先進国と開発途上国との違いによる受け止め方で立ちふさがっているのが現状です。これを考えると50年後の地球は、今まで誰もが体験したことのない様な危機的状況に陥ってしまっているのではないかとさえ感じられます。

 企業もあらゆる面で環境問題を事業化し、21世紀のビジネスの主流は環境対策商品と考える様になって来ています。これまでは、地球環境問題に取り組むことは「企業のイメージアップ」という側面が強く、企業のCSRなどこぞって"環境にやさしい企業"を唱えることを企業指針にしているのが現状でした。

 しかし、環境ビジネスの世界では大きく変わって来ています。  日本ではその象徴的な出来事が、自動車業界ではトヨタ「プリウス」に見られます。排気ガス規制が最初に行われた70年代では、トヨタなど大手自動車メーカーは、ホンダ、マツダの新興勢力に後れを取っていました。しかし1997年に、社運を賭けてトヨタは21世紀の車の象徴として、省エネ効果が期待できるハイブリッドカー「ブリウス」を登場させました。

 プリウスの発売時期については、97年12月に行われた京都会議に間に合わせのか、京都会議の席にプリウスを持ち込み、世界のNGO関係者に乗ってもらいアピールしたのでした。新聞各紙もガソリンと電気モーターを動力するハイブリッド車を好意的に取り上げセンセーションになりました。

 トヨタの関係者にとってプリウスは、それほど売れないと予想していました。なぜならそれまでのガソリン車なら200万円くらいのものが、250万円くらいしたから当然かもしれない。しかし、販売当初から予想以上の販売成績を上げる事になり、今でもプリウスは1か月待ちになっていると聞きます。

 このハイブリッドカー「ブリウス」をきっかけにトヨタが変わった。トヨタだけではなく経済環境が変わったと言った方がいいでしょう。それまでの環境対策は企業にとってイメージ戦略の一環で、「わが社も環境に取り組んでいます」と言っていただけだったのが、環境に強い商品が売れるということがプリウスで初めて実証されたからです。

 それだけでなく、プリウスを作ったことによって、ヨーロッパやアメリカでも、トヨタは自動車メーカーとして最先端を走っていると、圧倒的な信用力も得る事になった。この事は、環境にいい車を作れば売れるだけでなく、少しぐらい高くても売れることもわかったからです。"環境にいい商品ならそれぐらい高くても売れる"という社会環境が変わってきたのでした。

 CO2の問題一つを考えても、国家と国家で排出権取引をやろうという時代においては、当然、同じ性能で同じ値段だったらCO2を出さない商品のほうが売れる。ノンフロン冷蔵庫もそうですが、どのメーカーでも環境にやさしいものを開発できればヒット商品になるとわかった。今や自動車業界だけでなく家電メーカーはこぞって省エネ対策の商品を出している。

 家電団体では、普及率が高く、エネルギー使用の多い家電・ガス製品等に対して、エネルギー効率を高めるよう、省エネ法で効率の基準値が定められています。最近では製造メーカーの技術が進み、基準値をクリアしたエネルギー効率の良い製品、いわゆる"省エネ製品"が多く販売されるようになりました。

 消費者の私たちでさえ、これらエネルギー効率の良い製品を選ぶこと、さらに、上手な使い方の省エネ行動を心がけることで、エネルギー消費を抑えることができるのです。

 今年に入って自動車関係ではアメリカ・デトロイトにおいて北米自動車ショーが開催し、環境にやさしい車のコンセプトカーが勢ぞろいしたと聞きます。またアメリカ・ラスベガスでは国際家電ショーも開催され、省エネの冷蔵庫から液晶テレビまで、省エネ対策の家電が一斉に出品しているという。今や、環境に優しいコンセプト商品でなければ売れない時代になってきています。

私たちの暮らしは、全てがエネルギーを使って成り立っていると言っても過言ではありません。食べ物にしても、乗り物にしても、そして物ひとつを作るにしても、大量のエネルギーを使っているのはあたりまえの事なのです。私たちの便利・快適な暮らしは、エネルギー資源なしには、続けられないのが現代社会の構造になっているのです。

 しかし、皆さんもご存知のようにエネルギー資源は無限ではなく、世界のエネルギー消費量は1年間に約91億トン(石油換算)にもなっています。国別ではアメリカ、旧ソ連、中国、日本、ドイツの順になっているが、伸び率で見ると中国やその他のアジア諸国、中東諸国が大幅な増加を続けています。これは、人口増加と工業化の進展が大きな要因になり、2050年には現在の世界人口60億人が、100億人になるかもしれないと言われているから、これからも、ますますエネルギーの需要は伸びていくことが予想されています。

 そこで今回は、エネルギー問題を考えてみましょう。原油価格が上がり、ガソリンも灯油も上がり続け、私たちの生活に大きく影響して来ています。特に北海道では、灯油を暖房として利要しているため、生きる為の生活エネルギーとして考えられています。なくてはならないエネルギーとして灯油はあります。

 北海道の人たちは、冬を乗り切るために灯油は必要不可欠なエネルギーとしてあります。灯油が買えなければこの冬を乗り越えられない現実に気がつきます。私たちは灯油や自動車などのガソリンに大きく依存しています。今や原油の値上がりは食品にまでおよび、生活するあらゆるものまで値上がりがしています。エネルギーなしには私たちの生活は成り立たなくなっていることがやっと気がつきだしました。

 エネルギー問題を考えることは環境問題を考えることなのです。灯油の値上がりで、エネルギーの必要性を感じても環境問題として考える事はできなくなっています。生きる為にはエネルギーが必要なのです!と叫ぶ人たちがいるでしょう。灯油が上がることは、食品まで上がり、日用品まで上がり、あらゆる物が上がる事が分かります。食物連鎖ではなくエネルギー連鎖が起きるのです。

 私たち人類は、エネルギーを作るためにどれほどの自然を破壊してきたのでしょうか。限りある鉱物エネルギーを湯水の如く利用しつづけています。しかし、その流れは一刻も早く止めるべきです。これからは「自然を破壊するのではなく自然を利用することにより、クリーンなエネルギーを創り出し、環境に配慮したエネルギーをもっともっと推進すべきである」というのも、私たちは真剣に考える時にきています。

 他の国から石油や石炭、また原子力(ウラン)などのエネルギー資源を持ってくるのではなく、私たちが自然から享受する恵みから、エネルギーをまかなうこと。これは、夢物語ではありません。世界で、また日本でも充分にそして経済的な効果をともなって、環境を破壊することのない持続的なエネルギーを与えてくれる自然エネルギーの普及が進んでいます。そして、エネルギーの効率化、省エネの技術でエネルギーをより賢く合理的につかい、今より少ないエネルギー消費に抑えることで、自然エネルギーで自給することへさらに近づくことができます。

 たとえば、山形県立川町では、町の電力需要の半分以上、民生部門の100%を風力発電ですでにまかなっています。地域から、自然エネルギーによる電力自給は実現しつつあります。日本全体でも、導入量はまだわずかですが、伸び率でみればこの10年の間に風力発電がもっとも伸びた国は日本でした。また、太陽光発電の導入では世界一であり、技術はトップレベルです。

 2001年、ヨーロッパ連合全体では、自然エネルギーの割合が6%でした。欧州議会と欧州連合理事会は、それを2010年には12%と倍増させ欧州の中でも自然エネルギーの普及の進んでいる国々では、次のような政策をとっています。

●政府が拘束力と期限のある、高い自然エネルギー導入目標を設定する。

●地方自治体が地域の特性に合った自然エネルギーを利用する目標を立てる(国はそれを妨げない)。

●自然エネルギーの取り引き価格を石油や原子力発電などと競えるように設定する。

●省エネルギーの目標を立て、消費するエネルギーを小さくする。

●石油や原子力発電に使われていた補助金を自然エネルギーに向ける。

といった措置も必要です。

 長い海岸線、流れの早い河川、日照、山地、森林、火山帯。これらの日本の自然の特徴は、風力発電や太陽光・熱利用、小規模な水力発電、バイオマス、地熱発電など多様なそして尽きることのない自然エネルギーの源があることを示しています。そして、世界屈指の高い技術をもっています。今、私たちはまだ、これらの可能性のほんのわずかしか利用していないのです。

 自然の恵みも技術もある日本。各地で、地域の自然の恵みに併せた産業が発達してきたのと同様に、地域の自然の与えてくれるエネルギーを享受する産業を生み出し育てていくことができるはずです。 風力発電のメリットは ・ 二酸化炭素などの温室効果ガス排出量の低減効果がある。

・ 発電コストが低く事業化が比較的容易。

・ 夜間でも発電が可能。

・ 燃料源の確保や送電コストを低く抑えられる。

・ 規模によっては個人でも運用可能。

などなど風力発電は集中発電とは様々な点で異なる特徴を持っているし、温室効果ガス排出が少ないことが大きなメリットとなっている。鉱物燃料を必要としない風力発電は世界的にみてますます普及していくと思われます。特に北海道には自然エネルギーをいち早く取り入れてほしい。

 このコラムの第5回目に、企業の環境対策のキーワードを紹介しました。エコロジーに取り組む人や企業なら、今や3R活動=消費削減(Reduce)、再使用(Reuse)、資源再利用(Recycle)を実践されていることでしょう。

 さて、環境分野で初のノーベル平和賞を受賞したケニア人女性、ワンガリ・マータイさんをご存じでしょうか。ワンガリ・マータイさんが、2005年の来日の際に感銘が受けたのが「もったいない」という日本語でした。ワンガリ・マータイさんは、「もったいない」という言葉に、3Rの精神がこめられていることに深い感銘を受けたそうです。

 日本の美徳の真髄とも言える「もったいない」の精神が、ケニアのみならず、世界に広まれば、地球環境問題の改善に役立つばかりでなく、資源の分配が平等になり、テロや戦争の抑止にもつながると力説するのです。ワンガリ・マータイさんはこの美しい日本語を環境を守る世界共通語「MOTTAINAI」として広めることを提唱しました。

 ワンガリ・マータイさんは1940年、ケニアの中部、ニエリの農家に生まれました。6人兄弟で家は決して裕福ではなく、他の多くのアフリカ女性と同じように教育を受けられる環境にありませんでしたが、兄が両親を説得して学校に通い、60年に政府留学生に選ばれました。その後、米ピッツバーグ大学で修士号を取得。ドイツ留学を経て、71年にナイロビ大学で生物分析学の博士号を取得し、77年には、ナイロビ大学初の女性教授に就任しました。
 
 一方でマータイさんは、祖国の貧困や環境破壊に心を痛め、貧しい女性たちと「グリーンベルト運動」という植林活動を行っています。政府の弾圧を受けながらも、運動にはこれまでに女性が中心となって延べ10万人が参加し、植えた苗木は4000万本になります。環境保全にとどまらず、植林を通じて貧困からの脱却、女性の地位向上、ケニア社会の民主化に大きく寄与しています。

 ワンガリ・マータイさんは、2002年に国会議員に初当選。03年には環境副大臣に任命されました。04年、環境や人権に対する長年の貢献が評価され、環境分野で初めて、アフリカの女性としても初めてノーベル平和賞を受賞したのでした。

 ワンガリ・マータイさんが提唱する日本語の「もったいない」は、一言ですべてを言い尽くす言葉に心動かされたという。地球環境の大切さを訴えるのにこれ以上の言葉はない「もったいない」とい言葉だった。食料不足時代に「作った人の身になって大事に食べなさい」と親が子に諭した言葉だと当時の小泉首相はマータイさんに説明したそうだ。食べることに限らない。電気をつけっぱなしにしたり、衣服を粗末にしたり、時間を浪費したり。暮らしのさまざまな面でのムダを戒めた言葉に言い表されている。

 天然資源を大切に使い、世界の人々と平等に分け合っていくことを活動方針に挙げるマータイさんは日本語の「もったいない」にそれらの価値観がこめられていることに驚いたようだ。私たちは「もったいない」精神をどれだけ受け継いできたのだろうか。身の回りを見渡してみるとなんとも心もとない。食品は毎年2千万トンも捨てられ、賞味期限が近ずいた弁当は見向きもされない。

 くず糸を集めて雑巾を縫ったり、おひつについた米粒でおやつを工夫したりした大先輩に大目玉をくらいそうだ。それでも、様々な生活分野でリサイクル法が整いつつある。省エネの技術では、世界でもトップを走っている。人気のハイブリット車も受け継がれてきた「もったいない」精神に裏打ちされたアイデアともいえるだろう。

 地球の環境を守るには、民族や文化を超え、共通の視点から取り組む事がいかに大切か。そんな当たり前のことをワンガリ・マータイさんは教えてくれた。さらに、日本に伝わる生活文化には、世界に通じる価値があると励ましてくれる。最近海外で使われるようになった言葉は「つなみ」、すこし前なら「カラオケ」などがある。

 「もったいない」もこうした世界語に加わってもらいたい。世界に発信できる生活スタイルはほかにないだろうか。「腹八文目」は有力候補だろう。先進国で問題になっている肥満を防ぎ、生活習慣病を減らし、ひいては医療費を削減する。一石数鳥の効用をもたらす言葉だと思いませんか。

 21世紀に入ってから企業の環境問題への取り組みの必要性が指摘され、企業経営における環境対応の重要性は年々高まり続けています。

 多くの企業はこれまでの売上げ至上主義から、経営課題やマーケティング戦略の中心に組み込まれるケースも増えるなど、その位置付けも大きく変化しています。

 こうした背景には、環境対応に熱心に取り組む企業を積極的に評価していこうという市場や生活者の意識の高まりがあり、環境関連の企業情報発信は今後ますます大きな役割を果たしていくことは間違いないと言えるでしょう。

「グリーンコンシューマー運動」という言葉をご存じでしょうか。環境にやさしい活動運動と言った方がいいかもしれません。世界的規模の地球環境問題に対する関心の盛り上がりにより、「グリーンコンシューマー運動」が欧州や欧米で始まり、今や先進諸国の間で広まってきています。

 "グリーンコンシューマー"は、直訳すると緑の消費者という意味ですが、環境のことを考え、より環境に対する負荷の少ない買い物をする人のことを言い表しています。買い物という日常的な行動を通し、環境問題への意識を行動に移し、自分たちの生活や企業、社会を環境に配慮した方向へ変えていこうとするものが「グリーンコンシューマー運動」ということになります。

 日本でも、消費者団体や行政などが全国各地で運動を行っており、スーパーなどで広がりを見せています。"運動"というと少し気が引けてしまう人がいるかもしれませんが、消費者一人一人が買い物をするとき、再生品を買うように心がけたり、買い物袋を持って行くようにする、といったことが「グリーンコンシューマー運動」なのです。

 将来的にはこの消費者の行動が、スーパーやメーカーの意識を変え、環境に配慮した商品やサービスが定着する事を目標としています。そのためには、私たち一人一人の意識と行動が鍵となるのからです。

 このグリーンコンシューマーという言葉がいつから使われるようになったかと言うと、 1988年イギリスのジョン・エルキントンとジュリア・ヘインズが共著で「グリーンコンシューマー・ガイド(The Greenconsumer Guide)」を出版してからになります。当時、ヨーロッパはチェルノブイリの原発事故や北海でのアザラシの大量死、ライン川の汚染、酸性雨の深刻化など、さまざまな環境危機が相次ぎ、人々の関心を集めた時期でした。

 しかし、日々の暮らしの中から何をしていいのかわからない、というのが多くの人の思いでもありました。そこで発行されたグリーンコンシューマー・ガイドは、イギリスの人たちが日常的に購入し利用する商品が、おもにどこでどのように作られているか、使用時、廃棄後、どのような環境影響を与えているかなどを紹介し、また、どの店(スーパーチェーン)が環境対策に熱心か調査し、その結果を5つ星満点で評価し公表したのでした。

 「消費者」と言うと、"消し費やす者"と書き、社会の末端の存在のようにも感じますが、市民には「購入」という力があり、環境負荷の少ない商品を選ぶ、環境対策に熱心なメーカーや商店を選ぶことができるからです。それによって、事業者のものづくりに影響を与え、ひいては、アフリカ、アジアなど途上国や自分たちの住む地域の環境保全、地球規模の環境問題の改善にも貢献することができることを紹介したのでした。

 グリーンコンシューマー・ガイドは、初版で30万部も売れました。イラスト、グラフなど少なく、全編ほとんど字が埋まっているため読むのにも大変なのですが、当時の人たちの要求に合致したのか、多くの人が購入しました。

 翌年、同じ著者から、テーマを「どの店が環境対策に熱心か」にテーマを絞った「グリーンコンシューマーのためのスーパーマーケット買い物ガイド(The Greenconsumer's Superrmarket Shopping Guide)」が続編として出版されました。この本は反響を呼び、同書のスーパーの評価がイギリス小売業の売り上げに影響を与える出来事もありました。

 例えば88年の第1版で3つ星だったスーパー業界第2位のテスコが、環境対策を企業経営の最重点課題と位置付け、89年の続編では5つ星の評価を得ることになったからです。一方、業界売り上げ1位のセインズベリーは、第1版で4つ星評価を得ましたが、続編でも4つ星評価のままでした。この後、テスコはセインズベリーを売り上げでも抜き、業界1位に躍進したのでした。

 グリーンコンシューマー・ガイドのもたらした情報が、"川上"と形容されるスーパーなどの流通事業者に影響を与えたわけです。これは新しい市民運動として、ヨーロッパ諸国だけでなく、日本なども含めて台湾や韓国などでも翻訳版や現地版が出版されました。

 もうひとつ、グリーンコンシューマー活動の手本があります。1989年アメリカの経済優先度評議会という市民団体が出版した「より良い世界のための買い物(The Shopping for a Better World)」です。この本は、おもに株式投資家に向けて、企業の環境対策だけでなく、女性を役員に登用しているか、有色人種の雇用差別をしていないか、軍需産業との関わりはあるか、人種差別している国と貿易していないか、地域のコミュニティに貢献しているか、従業員の福利厚生に力を入れているかなど、 7つの指標からそれぞれ6段階に評価して示しました。

 日本では企業評価と言うと、ほとんどが資産や株価など経営状況だけを見ていますが、「より良い世界のための買い物」は、企業を社会的責任の達成度から評価したものと言えます。

 当時のアメリカは、若年時代、ベトナム反戦運動や女性解放運動、黒人公民権運動などに力をいれた人たちが壮年期を迎えた頃でした。ある程度の収入を手にするようになった彼らの中には、将来設計のための投資を、自分の思いに合致する企業につぎこみたいという思いをもった人も多く、そのような人たちにとって重要な情報源となっていました。

 日本では、この「ザ・グリーンコンシューマー・ガイド」が流通事業者に大きな影響を与えました。マーケティングの世界でもどうしたら消費者に認知されるかという事では大いに参考になっていました。その中でも市民レベルで京都の「ごみ問題市民会議」という市民団体が動き出した。1991年、京都市内の全スーパー 204店の環境対策や環境に配慮した商品の品揃えを調べ、日本で最初の地域版グリーンコンシューマーガイド=「買い物ガイド・この店が環境にいい」を発行した。この後、日本各地にグリーンコンシューマー活動が広まっていく大きな力になったのです。

 1996年2月、環境庁(当時)の呼びかけにより、企業や自治体、市民グループなどが、セクターを越えた「グリーン購入ネットワーク(GPN)」が結成されていきました。企業や自治体も大量の商品や資材を購入する「消費者」であり、これらの商品購入を環境に配慮したものに変えていくため、冷蔵庫や自動車、文具など商品群ごとに「グリーン購入ガイドライン」を策定し、「グリーン購入のための製品ガイドブック」を発行するなど、具体的な商品情報を通じてグリーン購入の普及・促進につとめました。

 「グリーンコンシューマー運動」がこれからの新しい環境運動に広がりつつある。昨今の企業のモラルハザード(倫理崩壊)が次々と明らかになり食品業界は混迷に陥っているが、地道に運動を続けるグリーンコンシューマー活動に見いだす事ができるような気がする。また企業のCSRの基盤にもなりました。

 環境にやさしいこと、地球環境を守ることは、わたしたちにとって基本的ライフスタイルとなりつつあります。あるいはそれは、もはや21世紀に生きるわたしたちの一種の哲学、行動規範とさえ言ってもいいでしょう。意識をただ高めるだけでなく、私たちは、より多くの正しい知識を「学び」、自らの意志で情報を「選択」して、「行動」に結びつけならないことを知っています。

 皆さんは、企業の環境対策のキーワード『3R』というのをご存じでしょうか。企業のCSRの中でよく使われる言葉です。この『3R』とは、「リサイクル(Recycle)・リユース(Reuse)・リデュース(Reduce)」をさしています。 これは、環境問題を考えていく上で、ゴミと資源に関わる問題を解決する"キーワード"と言われています。

 リサイクル・リユースの言葉では、個人や企業の中でもかなり耳にするようになりました。しかし「リデュース」という言葉は、わからないと言う方がまだまだ結構多いのではないのでしょうか。私はこのリデュースが、地球にもっともやさしい『R』なのではないかと思っています。

 ちょっと整理してみましょう、わかりやすく解釈すると、
■リサイクル(Recycle)■
 大半の方がご存じと思いますが、いらなくなったものを"捨ててしまう"のではなく、分類して集め"再利用する"ことです。
一般的になじみが深いのは、新聞紙・牛乳パック・PETボトル・空缶・ボロ布などのリサイクルです。
■リユース(Reuse)■
 リユースとは、いらなくなったものを"捨ててしまう"のではなく、洗浄したり修理して"もう一度使うこと"の意味で使われています。身近なところでは、ビールやジュースなどのビンを回収し再利用するなどがそうです。機能を復活させて、もう一度使用すれば、エネルギーや環境汚染は最小限になります。リユースは、リサイクルより地球にやさしいと言えるでしょう。
■リデュース(Reduce)■
 『3R』の最後は、リデュースです。これは、いらなくなったものを"捨ててしまう"こと自体を見直すことです。必要のないものは買わない、使い捨てのものなどゴミになりそうなものは使用しないなど、ものの量を"減らす"ことです。ゴミの量を減らすにはもっとも簡単で効果のある考え方です。
しかし私たちは今まで、新しいもの・便利なものをどんどん開発し、次々と生活に取り入れてきました。

 しかし、このように見ていくと、地球にもっともやさしい取り組みと言えるのが、この「リデュース」なのです。是非!少し視点を変えて、自分たちの生活に取り入れて行きましょう。

 そこで私が考える一歩すすんで『5R』としています。これまでの『3R』に「リフューズ(Refuse)」「リペア(Repair)」を加えて『5R』という考え方もあります。「リフューズ」は断る、「リペア」は修理すると言う意味です。過剰な包装や、コンビニで割り箸やスプーンを断る。壊れたものは捨てずに修理して長く使うと言ったことです。これらも、少し気にすることで実践できる『R』ですね。
 などと"環境にやさしいことを考えるキーワード"を5Rにして考えると分かりやすくなります。

《ニュース速報》
 今号から"環境にやさしい企業とは"を考える上で一般的に捉えられている『3R』&『5R』を書き出していたら、12日(金)の夜のニュースに「ノーベル平和賞を、地球温暖化問題に取り組むアル・ゴア前米副大統領に授与する」とテレビのニュースに流れて来ました。

 私はこのコラムがスタートした2回目に、アル・ゴア氏が地球温暖化を訴える映画「不都合な真実」を紹介しました。この映画が政治的な意味が色濃く出ているとか、温暖化の比喩には科学的に矛盾があるとか言われていますが、ある意味では事実なのでしょう。それでもこの記録映画がアカデミー賞を受賞したことも私にとっては歓迎すべきだと思っています。より多くの人が"今"の環境問題は、地球温暖化問題を抜きにして考えられないことを知ってほしいことでもありました。

 これまでゴア氏の「不都合な真実」を試写会で見た感想を、私が毎週連載中の新聞に紹介をしました。この新聞の原稿の最後の下りに"もし、アル・ゴア氏があの時大統領になっていたら、間違いなく世界は変わっていた"と書きました。しかし、日本での評価や評判は決していいものではなかったし、海外では多くの人が観ているが、日本ではそれほどの関心は示してはいなかった。今年の3月にアカデミー賞を受賞し、一躍注目をしだした。一般紙も「不都合な真実」の映画を賞賛しだした。各紙の論評では"もし、アル・ゴア氏があの時大統領になっていたら、間違いなく世界は変わっていた"と、私の書いた言葉が多く使われていたので、喜んでいいのやら複雑な思いにからられていました。

 ノーベル賞委員会によると、気候変動問題を「多くの人々の生活を変化させ、脅かす」だけではなく、「地球資源を巡る国家間の紛争に結びつく」として、地球や国家が直面する問題だと指摘しています。ゴア氏の活動については「人為的な気候変動について、その問題点を広く知らしめ、この問題への対応に必要な基盤を築くために努力した」と、さらに地球温暖化に対する問題提起の姿勢や、解決に向けた努力を評価したのだった。アル・ゴア氏は上院議員時代から環境問題に取り組んでいました。ついでながら、副大統領を務めたクリントン政権時代には、京都で開かれた地球温暖化防止京都会議(第3回気候変動枠組条約締約国会議)に出席して、京都議定書の採択を働きかけていました。

 受賞する事になったゴア氏は「とても名誉なことだ。気候変動は政治問題ではなく、倫理の問題だ」との声明を発表、賞金を環境団体に寄付する意向も表明しました。

 私はこれまで、地球温暖化の原因は人間の活動であるという見方をとってきましたが、それに疑問を投げかける意見も一部にないわけではなかった。しかし今回、世界的に権威ある賞の受賞で、世界の趨勢がこの科学的立場を尊重し、人類全体の認識となっていくことが予想されています。今日の『日本経済新聞』によると、ノーベル賞委員会は、ゴア氏との授賞理由を「人間の活動によって引き起こされる気候変動の問題を知らしめ、対応策の土台を築いた」からだと評価した理由が書かれていました。

   気になる話では、ノーベル平和賞の受賞で、アメリカの有権者やメディアの関心は、ゴア氏が満を持して来年の大統領選に参戦するのではないかという点に集まっています。

 私は環境関係に足を踏み入れて今年で11年目になります。もともとの本業はマーケティングが専門なのです。これまで様々な企業の商品開発から流通までの販促とマーケティングを本業としてきました。環境に負荷を与えない企業であってほしいと願い、製品にもそうでありたいと仕事をして来ました。
 私の環境への取り組みに大きなきっかけを与えてくれたのはレイチェル・カーソンの一冊の本でした。2007年は、レイチェル・カーソン生誕100周年にあたります。まぎれもなく20世紀のアメリカに環境問題に警鐘を鳴らしたのは、海洋生物学者レイチェル・カーソンです。今回は彼女が書き残した「沈黙の春」の紹介をいたします。

 あるとき海洋学者であり作家でもあるレイチェル・カーソンのもとに、友人からの一通の手紙が届いた。自分が住んでいる役所が殺虫剤のDDTを空中散布した後に、彼女の庭のコマツグミが次々と死んでしまった、という内容の手紙だった。この一通の手紙をきっかけに、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」が生まれたのでした。四年の歳月をかけて執筆した、この「沈黙の春」は後に歴史をかえることができた数少ない本の一冊と称されることになった。

 「沈黙の春」を執筆中にガンにおかされた彼女は、膨大な資料とも闘った。その中で化学物質による環境汚染と破壊の実態を、世界で唯一さきがけて警告を発した本になった。

 「私たちは、今や分かれ道にいる。長い間旅をして来た道(化学薬品を使う事)は、素晴らしい高速道路で、すごいスピードに酔うことができるが、私たちはだまされているのだ。その行く先は、禍であり破滅だ。もう一つの道は、あまり人は行かない道だが、この道へ行くときこそ、私たちは自分の住んでいる地球の安全を守れる。そして、それはまた、私たちが身の安全を守ろうと思うならば、最後の唯一のチャンスといえよう」と訴えた。

 この本は化学物質による環境汚染への警告なのだ。人間がこのまま劇薬のような化学物質を無秩序・無制限に使い続けていると生態系が乱れてしまい、やがて春がきても鳥も鳴かずミツバチの羽音も聞こえない沈黙した春を迎えるようになるかもしれないという寓話ではじまる。私はこの本によって始めて環境の汚染と破壊について眼を開かされたと言ってよい。

 1962年6月に雑誌「ニューヨーカー」に発表すると、アメリカの経済界に大きな反響を引き起こした。食品業界や化学企業、団体から猛烈な圧力や、また化学者や研究者から反論がわき上がった。しかし、当時のJ・F・ケネディはレイチェル・カーソンの「沈黙の春」を読み衝撃を受けた。早速ケネディ大統領は委員会を設置し、ウィズナー報告書を作らせた。大統領も動かすほどの影響により、農薬の使用を制限する法律の制定を促すと同時に、地球環境への人々の発想を大きく変えるきっかけとなった。

 レイチェル・カーソンが発した警告は、今日でもその重大さが失われてはいないばかりか、さらに複雑に深刻になってきている。科学技術は二十世紀になり特に第二次世界大戦後に急速に発展し、人々は豊かさと便利さを手にすることができた。最もこの豊かさは先進国といわれる国々だけが享受できたのであったが、しかし発展の影では、環境汚染や自然破壊が進行し、様々な環境問題を起こしてくるようになったからです。

 環境問題への彼女の思いは、私たちのバイブルとなっている。この本が発刊されて45年になろうとする現在でも多くの人々に読まれ続けている。
 1964年4月14日に56歳の若さで生涯を閉じた。遺稿となった「センス・オブ・ワンダー」は、友人たちが彼女の夢を果たすべく原稿をまとめて、翌年一冊の本にして出版したのだった。この本はレイチェル・カーソンの姪のロジャーにおくられていた。

 姪のロジャーと一緒に海辺や森の中を探険し、星空や夜の海を眺めた経験もとに書かれた作品である。彼女には、遠い昔、ピッツバーグ郊外の田園地帯で、母マリアと幼いレイチェルが森や草原を歩いていたやり方と同じだった。母マリアは、レイチェルに自然の美しさや神秘をじっと観察することを教えた。あらゆる生き物が互いにかかわり合いながら暮らししていること、どんな小さな生命でも大切なことを感じとらせてくれたのだった。

 レイチェル・カーソンは、地球の素晴らしさは生命の輝きにあると信じていた。地球はあらゆる生命が織りなすネットで覆われている。その地球の美しさを感ずるのも、探求するのも、守るのも、そして破壊するのも人間なのであると訴えている。破壊と荒廃へつき進む現代社会のあり方にブレーキをかけ、自然との共存という別の道を見いだす希望を、幼いものたちの感性の中に期待しているかのようである。

 「沈黙の春」が、今もなお鋭く環境汚染を告白しつづけていると同じように、「センス・オブ・ワンダー」は、子どもたちに自然をどのように感じとらせたらよいか悩む人々への、おだやかで説得力のあるメッセージを送りつづけてくれている。

 死を前にして友人への手紙に書き記した
 「もし、私が知らない多くの人々の心のなかに生き続けることができ、美しく愛すべきものを見た時に思い出してもらえるとしたら、それはとてもうれしいことです」

 地球環境教育の必要性が叫ばれているいま、レイチェル・カーソンの遺志は、多くの人の共感を世界中の人たちに与えている

 「環境にやさしいコラム」ということで原稿を書いていますが、「地球にやさしい」ことと「環境にやさしい」とは同じ意味なのかと思う事はありませんか。

 私の概念では「環境、地球」というのは、人間が快適に過ごせる環境、地球ということです。人間にとって不都合な環境、地球という意味は含まれていません。例えば二酸化炭素を減らす事。二酸化炭素がたくさんあった方が生きやすい生物からみたら、そんなことは環境にやさしくないことになります。

 生命にあふれる地球というのも人間が勝手に作ったキャッチフレーズです。生命がいること自体余計なことだと地球が思っていたらどうしたらいいのでしょう。環境問題の対策は人間を中心のエゴで進められているということを忘れると、事実とのひずみが大きくなるでしょう。命の重さはみな平等というならトキもエイズウィルスも同じように保護しなければならなくなります。でもそうでないのは人間にとっての価値観で決まっているからです。

 人間は人間中心の考え方しかできませんが、事実とのひずみを小さくする努力を惜しまずに環境問題に取り組む事はできると思います。  個人にできることでいちばん大事なことは、まず「環境」に対して意識を持つ事です。前号のアル・ゴア氏が唱えるように、個人の意識が身近な生活環境を変え、企業を変え、そして政治をも変えていくことにつながるからです。近年その意識が高まりつつあるとは云え、地球温暖化が今年も身近に感じたのはこの夏の猛暑でもありました。

 クールビズスタイルは企業でも定着しつつあります。企業の中には、事業活動が環境に与える影響を考慮し、熱心に環境活動に取り組むところが真剣に考えるようになりました。企業色を活かしたりユニークで効果的な取り組みも見られるようになり、国際的な環境マネジメントシステムであるISO14001の認証取得事業所が世界で最も多いのも日本です。ところが経済全体で見た場合、環境負荷が低くなっているどころか、二酸化炭素の排出量は、1990年当時に比べ、2004年は10%近くも増加しています。

 社会の環境負荷を下げるためには、企業が個々の取り組みを深めるだけでなく、それが活かされる社会システムを構築することが必要です。たとえば「拡大生産者責任」の導入など、システムの設計によっては、環境に熱心に取り組む企業の経済的負担を軽くすることができます。また「炭素税」も環境に負担の少ないエネルギーの市場競争力を高め、転換動機をつくることができます。新しいシステムには環境と経済の両立を促進する経済的な誘導も有効であると考えます。ただ、そのようなシステムは一朝一夕に構築できるものではなく、提言だけで実現するものでもありません。また「経済的誘導」だけでは、経済状況の変化によっては、環境の取り組みが冷めてしまうこともあります。

 環境市民は、「企業と社会が相互に変わりあえる関係をつくる」ため、企業との協働環境活動、企業職員の環境意識を高める活動、企業の社会的責任(CSR)を深める活動、環境に熱心な企業が評価を受ける仕組みづくりなど、実践活動を通じて企業・市民双方に働きかけを行ってきました。そのような活動の継続的な実践が、社会システムの変革を促す一助になると考えます。

 世の中に広がる「商品」そのものも環境負荷によって生まれているのも考えなくてはいけません。企業が発生させている環境負荷をコスト負担という考え方でとらえると、企業の処理コストになっている物と地球環境がコストを支払っている物があります。地球環境がコストを支払うという事は環境破壊が進行するという事です。環境破壊の進行で地球環境が支払っていたコストの負担を、我々人間社会が支払わなければならなくなってきているというのが現在の状況です。

 私が研究員をしているネイチャーテクノロジー(株)は、英語になるとNature Technologyですが、直訳すると"自然と技術"になるように、自然物を利用し技術により開発化したものを製品にしています。さらに、企業概要の業務内容の始めに"環境に配慮した社会システムの構築及び普及"となっています。環境に負荷を与えない企業精神が、この会社の環境対策そのものになっているのです。

 『自然との調和』から生まれるものが「地球にやさしい」「環境にやさしい」そのものになっています。環境負荷は最終段階で処理するより、素材段階で負荷の発生しないものを使用する方がいちばんいいのです。一般的に資源エネルギーを多く使うと環境にも負荷が多く、リサイクルにも障害があらわれ、何よりコストも上昇します。これまで商品の付加価値として「消費者便宜性」や「品質保存性」「デザイン優位性」は「環境適応性」につねに優先するという市場原理がありました。ネイチャーテクノロジー(株)が"人間の健康的な暮らし"を提案することは大きな意味があり、企業の社会的使命をいち早く企業理念としたことは誇れる事です!

 前号で「環境」をどう捉えていくかの考え方を「地球環境」、「自然環境」、「生活環境」として、私たちの日常生活を取り巻くすべてのものであると位置づけて考えなければならないとしました。

 環境に優しい社会を考える時、これからの21世紀は過去に私たちが蓄積し発展させてきた人間の叡智が、地球環境維持のために如何に有効に活用され、地球温暖化防止に役立てられるかが、試される世紀でもある。日常の生活の知恵から先端技術に至るまで、環境への理解を認識しなければならなくなってきたからだ。

 ところで、皆さんはアル・ゴア氏という名前をご存じだろうか。それは地球温暖化を訴える映画「不都合な真実」で、アメリカ前副大統領アル・ゴア氏がスポットライトを浴びることになったからだ。

 今年の2月25日に第79回アカデミー賞に「不都合な真実」が長編ドキュメンタリー部門で受賞したのだった。これまでのアカデミー賞の歴史の中で、環境問題が受賞したのは始めての事だったため、世界中の映画人が驚いた。なんと出演はアメリカ前副大統領のアル・ゴア氏だったからだ。

 アル・ゴア氏は「地球温暖化は政治問題ではなく、倫理の問題だ。今、行動しよう!」と呼びかけた映画だった。この映画は、人々の思い込みと闘うゴア氏の物語になっている。地球は人類にとって、ただひとつの故郷。その地球が、今、最大の危機に瀕している。キリマンジャロの雪は解け、北極の氷は薄くなり、各地にハリケーンや台風などの災害がもたらされる。こうした異変はすべて地球の温暖化が原因といわれる。年々、上がり続ける気温のせいで、地球体系が激変し、植物や動物たちは絶滅の危機にさらされる......。傷ついた地球を救うため、一体、今の私たちに何ができるのだろう?

 地球温暖化問題について描いたエコ・ドキュメンタリーがなぜこれほどまでに多くの観客を惹きつけたのだろうか。それは地球に危機感を抱いている人が多かったからではなく、それはゴア前副大統領だったからだ。

 映画「不都合な真実」は昨年5月に公開後、米国内で2415万ドルの興行収入を記録したものだ。アメリカだけではなく、ヨーロッパやアジアなどでこれまで1000回以上の講演を行ってきた。アカデミー賞の受賞式会場にレオナルド・ディカプリオとともに伝統的なリムジン車ではなく、小型で燃費の良いトヨタのハイブリット車「プリウス」でレッドカーペットに乗りつけた。壇上に上がり温暖化防止とともに次期大統領選出馬宣言のジョークを飛ばした。

 アル・ゴア氏は1993年から8年間、クリントン大統領政権で副大統領務めた。在任期間中には、経済政策としてインターネットを世界に革命をもたらした「インフォメーションスーパーハイウエイ」をはじめとする通信・情報のインフラの整備を行った。また、ナノテクノロジーへの研究開発支援政策を行い、アメリカにハイテク産業の発展に大きく貢献してきた。さらにアメリカ史上最も長い経済不況に、財政再件をはかり景気の拡大と経済の成長に、その政治手腕とリーダーシップを発揮して、数々の功績を残したと言われていた。

 その一方で、アル・ゴア氏は1970年代から環境問題に取り組みを続けていたことを日本で知る人はほとんどいない。ゴア氏は長年に渡って政治家として環境問題に深く関わって来た事をアメリカでは政治家たちには知られていた。

 ゴア自身が問題を強く意識したのは、1960年代後半のこと。環境問題を研究するロジャー・レヴェルの警告に心を動かされた彼は、70年代後半にはこの問題に関する初の議会の聴聞会をまとめる手伝いをした。80年代には各国の首脳たちと話し合いを始め、また、97年には京都議定書など、多くの交渉の場に参加した。政治家として、長年、環境問題に取り組んできたが、その運動に突き進んだ本当の動機はとても個人的なものだった。89年に6歳の息子が交通事故に遭い、1ヶ月間、生死の境をさまよった末、奇跡的に命を取りとめた。この時、将来の息子が生きる場所への危機感を強めたという。

 さらに追い討ちをかけたのが、2000年の大統領選でのブッシュへの敗北だった。その印象を「打撃だった」と、劇中で素直に告白するゴア。やがて彼は失意から立ち上がり、自分の本当に進むべき道を見出した。それが現在の地球の危機的な状況を世界に知らせ、地球の未来のために何をするべきなのかを伝えることだった。そして、スライド講演を決意し、自分の生の声で人々に温暖化問題を伝える活動を始めたのだ。

 多くの政治家たちが耳を貸そうとしない"不都合な真実"。しかし、私たちが日々の暮らしの中で小さな努力を重ねることで、地球を変えていける、とゴアは訴える。それぞれの問題は日常生活の中でつながっており、車の排気ガスを減らしたり、自然エネルギーを取り入れることで、事態は確実に改善されていく。地球の未来を信じているからこそ、立ち上がった孤高のサムライ。「不都合な真実」はそんな男の勇気と希望に満ちた闘いを温かい視点で見せる異色作だ。

 映画自体は非常にわかりやすく「地球温暖化って何」という初歩的なところから「じゃ、防ぐにはどうしたらいいの」という結論まで、この映画一本を観れば何から何まで、すべて理解できるところにこの映画のすばらしさがある。環境問題にエネルギッシュな語り口は説得力に満ち、話は面白くわかりやすい。エンタティメント性がある優秀なプレゼンターでもある。この語りはハリウッドスターの比ではない。政治こそがアメリカ最大のショーというのも頷ける。

 ゴア氏は、地球温暖化問題を「人類史上最大の危機」と指摘する。「不都合な真実」というタイトルは、誰にとって不都合なのかといえば、環境対策より経済政策を優先するアメリカ政府や政治家、経済界の人たちだと言っている。

 「不都合な真実」は見事にアカデミー賞を受賞したが、決して喜んで終わる筋合いではない。やっと始まりに立ったということだ。地球にここまでの危機はなかったし、人が侵してきた事による危機が目の前に来ているという真実に見て見ぬふりができなくなって来たのです。

 政治に"もし"がないが、ふと「もしあの時ゴアが大統領になっていたら、きっとアメリカのあの戦争も、9.11もなかったかも...、そして環境問題への政策は180度変わっていたのに違いない!」と、思わざるをえない。

 ゴア氏は、08年の大統領選への出馬を何度も否定しているが"もし..."。

※映画「不都合な真実」はDVDで観れます。ぜひお奨めの一本です。
 http://www.futsugou.jp/

 今回から私が環境コラムを書き続ける事になりました。環境という切り口は意外と広く使われていますので、書く方としても少し整理したテーマで環境を捉えなければならないと思っています。環境を考える時、自然環境への影響ばかりでなく、人間と周囲の環境との関わりを見ていくことも重要となってきます。

人間の内面と環境の関わりを心理の面から考え、さらに人間をとりまく環境から五感を通して考えることも必要になってきました。さらに現代社会では「安全・安心で心豊かな生活環境」を守り維持するためにも私たちの"健康的な生活"が脅かされるため深刻な問題として重要になってきました。これらを考えると環境に対する認識も複雑であり、捉え方も大きく変わってきました。

 私は中国系新聞(陽光導報)に「ぼくらの未来」シリーズを毎週連載で原稿を書いています。なぜ中国系新聞にというのはさておき、このテーマは自然環境を次世代に引き継いでいくためには、今何をしたらいいのかを中国人向けに発表しています。そのテーマは「身近にせまる環境問題」をみんなで考えようという思いからです。また、別の連載では「文化社会」という切り口をテーマにしています。こちらは文化論的な要素もありますが社会問題から政治問題、はたまた芸術まで、幅広いテーマですが人間と社会生活の問題提起として書いています。

 二つの週刊連載に共通するのは、人間が潤いある生活と営むには何が必要なのかを私のテーマとしているからです。その一つが「環境」ということになります。

 ここで、私は「環境」という言葉を何気なく使いましたが、私達は「環境」ということをあまり意識しないで生活をしています。豊かな食べ物、おいしい水と空気がある生活はあたりまえと思っています。ところがダイオキシン汚染や環境ホルモン(内分泌かく乱化学物質)のことが毎日のようにテレビや新聞で報道され、食べ物や水、空気の安全性に疑問が投げかけられています。さらに地球環境からは気候変動や紫外線の増加等が指摘され私達の住む地球の環境そのものも変動していることが問題になっています。

 現代社会では、人間活動の影響を強く受けた結果としてさまざまな環境問題が起き、かつて経験したことのない新たな健康問題がひき起こされています。人間の健康にとって環境がどのような意味を持ち、その環境に人間の活動がどのように影響しているかについて考え、理解することを大事になってきています。

 また、環境問題に関するさまざまな情報を正しく判断するための基礎知識も必要になってきたからです。私達自身の日常生活が環境に及ぼす影響について具体的に知ることにより、環境問題を身近な問題として考え、理解することができるからです。

 そこで私なりに、「環境」に対する認識から定義を整理してみましょう。私がコラムを進める「環境」とは、われわれの日常生活を取り巻くすべてのものであり、その主体や対象によって様々な区分が可能ですが、私のコラムでは「地球環境」、「自然環境」、「生活環境」について記していくつもりです。

 次回は、私が観た映画をご紹介させていただきます。そのあらすじをちょっとだけ書きます。

 アメリカの元副大統領アル・ゴアが出演した「不都合な真実」というドキュメンタリー映画をご存知でしょうか。この映画がアカデミー賞を受賞して「地球温暖化問題」が一躍注目を浴びました。現在、地球温暖化や、生物多様性の減少、酸性雨等にみられるように、その影響が国内だけにとどまらない地球規模の環境問題が進行しつつあり、特に地球温暖化については、10年前に科学者が予想したよりも極めて深刻であると認識されつつあります。

地球環境問題がこのまま推移していくと将来の人類の生存を脅かす重大な制約条件となることを深く認識し、考えられる対策について国内外での取組みを講じていく必要があります。映画「不都合な真実 」はこの問題を鋭く追求しています。